弁証法としての、マティヤ
然らば。説得するマティヤ
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マッテヤ→マティア→マティヤ
変容、よりか。変貌だろうね。
マッテヤは、プロテスタント系、の表示。
マティアは、カトリックが発音らしい。わたしは、マティアの方が、聴音が響き。
それが心地よいので、許容させてもらって、載せたのだが。
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此度が、レプリコン&「プランデミック」。薬害
カトリックが、その頭。F教皇が,それらを推す。その発言に間違いが無ければ。
まさしく。列島が、住民、への、反対意見。その表明ではないか。
聴き及んで、拒絶感を抱いた。
早速、そのリアクション。即ち、連帯は組めない。解消。分離する。
彼に執っては、列島が、島国の国民。その総数より、巨大な、信者数。
慕われる身であれば。どっちを取る。
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「戦艦ポチョムキン」の、オデッサ階段。時が権力者、ツアーの兵隊が、銃を手に隊列組んで。階段を降りて来る。そして、市民に向って発砲。血まみれが、逃げ惑う市民。
あの、乳母車が、赤子を乗せながら、階段を降りていく場面。
それを、監督エイゼンシュタインは、マルクスの、正、反、合。その弁証法の論理を、フィルム上に、焼き付けた訳でしょう。
それは、黒沢明監督の作品が、ひとつ。そのシーンにも、見受けられた。
いわゆる、モンタージュ。
その彼も、後年。そのマルクス的映画理論を、否定してた。
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後日譚、ではなく。そこまで、もとへ。底まで面倒みろよ !!
説明か。解説か。わたしは、解説を取る。説明を取ると、キムチのオジサン、を連想するので、避ける。
それで、而して。解説は、戦後、昭和の野球が実況放送。小西得郎氏が、冒頭の決めセリフ。
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華厳が滝、は離れて。紀州は、那智の滝。滝上に、しめ縄を渡して。禊ぎが、滝壺。
滝自体が、列島の民の、信仰対象。修業が、名所。
喩えれば。その落下する高低差、の水圧を、両肩に受けて。それが、大自然への畏怖。
ひたすら、謙虚。寛容を学ぶ。そんな処か。
イエスが、ある丘で。磔刑で、他者の肩代わり。われわれが罪を引き受けて、昇天された。時空が、違う。
説得為る。それは、その荒行を経て後。超自然を、実体験したであろう。
彼らが、世俗が民に、説得する訳でしょう。
左様に、求道者や異教徒を、説得する。それは、大変な使命。
或る日、彼らがやって来て。わたしマティヤに、注文つけても。
わたしが、返答は。入門係です。それ位しか、言えんだろうな。
それでも、それでも引き受けろ。と、声を聴けば、幻聴と撥ねつけられません。
わたしも、伊達や酔狂で。アチコチの教会、首を突っ込んだ訳も無く。
勝って、看板持ち帰る、道場破り。県道、もとへ。剣道は歩いてない。
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もはや、前見て。首だけ180度、真後ろ回す程、柔軟な身体ではありません。
説得するマティヤ、誰がために要るか。
代行を、無事済まし。11弟子等から、承諾を得て。
仲間意識の彼らに向って。何を説得すると、云うのか。
むしろ、もう振り返る事ならぬ身ならば。イマジンして。はるか後方を、かっての我が身。30年前が我が身を思い、その時点が、若い。分身とも呼ぶべき、迷える小羊。
彼らが苦衷を鑑み、その彼らが世代の、しかも未来のマティヤ。
その誰かしら。
彼を微力でも、牽引したい。その真意を問われようぞ。
然り。
アーメン
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