その日の、前週の日。
「ピンクムーン」と、呼称されるそうな。
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「復元 単立 イエス・キリストの教会」
わたくし、マッテヤの。母教会にして。
今は、先年が、オリ・パラリンピックの開催、その関連整備による。強制代執行かもの、その事前決断による。廃教会堂、その全景。スケッチ
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何処の、教会に顔出しても。いまひとつ、しっくり来ない。落ち着かない。
それで、どっちでもいいか。次世代に、任せれば。
それが、聖句にある。「わたしの軛は軽く、その荷は負いやすい。」
その教会が、教会堂が眼前に。突如、出現しまして。
初めは、逆に疑った。だって、それまでが、余りに長い。もう、わたしが世代。
年代は、諦めようか。
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灯台下暗し。
教会は、主日の例会。それに、祈祷会。例会が説教、祈祷会が車座になっての、神学の相互読書会。二、三人集まれば、OK。そう、謳っています。
数年、足繁く通えば。わたくしが自宅より、十倍はあるだろう距離、会長宅。
そこから、二人が来て下されば。引かれて、通うに軛は軽い。
仕事柄、教会が扉の鍵を預かりました。
それは、執事ですから。やっと、ヤギから、羊へ。もう、迷うこと無い。オチが付いて、落ち着きました。
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その間、やれ。駅前商店街、バス通り。北口の商店の片側、削って道幅広げて。
線路は、地下潜らせるとか。既に、南側は、一方通行の路線で四角形回っていたから。
「通すな、外環!!」の旗、数はためいてました。青梅街道沿いには。
結局、当時が、石原都知事の鶴の一声か。地下40m、一気に貫通して、駅前商店街、及び周辺が閑静住宅街。地上部は、工事を免れた。
一安心も、束の間。「外環その2」が、地下工事が、その地上部。
国でしょう。その難関工事が、地表面。ついでに、やってしまえ。
その真上、何処を通るか、定かで無い。憶測、不安がある。
地元が小学校、体育館で、住民集めてが、「たたき台」。国と、住民との話し合い。
数回、行きましたね。
インターチェンジと、ジャンクション。2種類。規模と、用途がちがう。
都道にして、関東は首都圏。主要幹線道路たる、青梅街道は、ジャンクション。
「環七、環八、通すな外環、圏央道」
圏央道、住民訴訟があって。何と、告訴側に、ムササビ。入れたんですよ。
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ピンクといえば、サクランボ。サクランボといえば。山形県。
そこが、生誕地の彼女、わたしが、母教会の主任牧師。彼女が礼服、桃色。
兎に角、似合ってましたね。フィットしてました。
現役で、看護師さん、ユニホーム着衣してますね。
思い出しました。
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先年。東日本大震災。当地への、ミッション。そのひとつが、彼女が生誕地への、一度はの巡礼。終える事が叶い、感謝です。
彼女無くば、今日がわたしは、非ず。
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さて、再掲ですが。「ユニークね。」そう、言ってくれた少女。
彼女が、それは預言だった、でしょうか。その通りになった。
その事も、添えておきましょう。
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皆さん、忘れないでください。
アドバイスもあり、ヘルプもあり。そして、ヒントも在ります。
アーメン
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関東は、首都圏。日本がプロテスタントの、メッカ。と云うと、語弊があるか。
しかし、敢えて、そう云わずば。列島在中が、イスラム教圏が、彼等イスラム教徒に。
簡単には、説明できまい。
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これらは、隣接して、在る。しかも、それらが近くに、中近東文化センターまである。
実際、館内展示物。その中には、ローマ帝国時代が、代物。つまりが、貨幣も収集してある。学生が、その期間中。海外留学できようか。例えば、大英博物館等、行けるか。
故に、ここに来館すれば、見学すれば。
「カイザルのものは、カイザルへ。」 彼が発した言葉、即ち聖句が、現実を帯びる。その証拠が、貨幣在る。
三笠宮崇仁殿下のご発意の下、故出光佐三氏(出光興産株式会社創業者)の全面的な協力を得て、昭和54年(1979年)10月に開館しました。
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わたしも、見た。もう、Visaも、Passportも、断念した。
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わたしも、訳あって。複数回、転居したが。前住所、集会行くと、分かる。
直観なんだろうね、ルター派の彼等。
高校時代、通学で。転居前が、ルター神学院。角地に、正門。構内チャペルは、世俗からか、道路側の天窓等がコールター塗装で遮断。しかし、脇門は、解放。構内メインストリートは、左右、春は小ぶりな桜かな、本数の桜吹雪に、圧倒された。
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そんな、こんなで。今は、カルビン派と思しき街中に居る訳でしょう。