
21世紀の、「令和」の『憂国忌』
館外は、ならば。国難
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翌日の、「チャンネル桜」のコメントで、集会、参列を聴いた。
それで、去年に連ねて、視聴。去年が、畳大の、壇上が遺影。
今年は、神道に則った、祭壇が壇上中央。実際、神職がグループ。
登壇、演説者と共に、左右に椅子上、座して着席。
雅楽、演奏。生誕、100年。
「憂国」だけが、遺筆か。筆跡が浮かぶ。
半世紀以上、継続、保持してきた。彼らの、意思、信条、敬慕を思う。
式辞を詠む神官も、彼等烈士が名を数回呼ぶ。古が世の、ゆったり時間は、超える。
当時、決起が際。行動を共にした彼であろうか、その追悼が辞も、しみじみと聴いた。
国学教授が講話も、国語が美しい。
最も、記憶に残ったは、水島聡氏が発言。近い、その心境をや。
「いのち以上のものを、見せ・・・」あの下り。
右も、左も。馴れ合いの、テキトーの世相に、浸かってる。
烈士が彼等の、内なるを代弁してる。
その虚無感。さぞや、痛切に感じたんでしょうな。
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「烈士」、使えますか。
いや、彼等も英霊でしょう。