かいふう

近未来への展望や、如何に。

主日

イエス

 

譬えて。ペテロが、ジャンプ

例えば。孤軍VS「集団の無意識」

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ジャンプはしたが。果たして、何処に着地したのだろうか。

わたしは未だ。両足があるので、その片足に、軸足を移した時。

イエスが、独りしか居ない。なので、聖母マリアも、確定。一人しかいないはずだ。

その思慕みたいなもの。それが、残存してる。思い込んでいる訳だろう。

また、始まった。その訳を。ご丁寧に、翻訳してる。

つまり、わたしの内なる。母性的。それに翻訳してる時間。それを捨てることは無い。

自己から、することではない。

眠っている、というか。休んでいる。それ故。軸足移した時。目を覚ます。

しかし、もはや21世紀を迎えて。

イムズは、分離、独立したであろうから。イムズが、相違。

絶えず、ライバルなんだろうか。火花飛ばしてる。

そういう、峻別せねば、残り時間、有効に使えんだろうが。

カトリックの人々、彼等とも、かなり厳しい。その違いは、体験、経験して来てる。

はっきり、分ける訳。

その事例。関東は、首都圏。東京ドーム。わたしは、初めて行ったは。

盲目が歌手。スティービー・ワンダー、彼のツワー、公演。

処が、同じ場所。彼等、「ポープ」を呼ぶ。彼らは、トップに謁見するために、集う。

彼らが、世の弱者。社会福祉が、その対象。障がい者に、疎い。それを断言しない。

修道院、そのイメージ。遥か、数千年前から、ローマンカソリック。東方教会等。

教会そのものに、歴史がある。

だが、極論だが。修道院内、盲導犬養成所ある、それは聞かない。

世俗的、それをひたすら避けて。高山は、深緑奥に、厳しい修行を求めた。

それは、仏教等も、同じ。

需給の有無、それは障がい者とて、差異は無い。登山家が、その記録に、高さを競うなら。盲人手引きに費やした時間、この場合は共に隣人として歩いた積算距離か。

[聖句]に適ってある。

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大自然の懐深く、瞑想と沈思。彼らが、それらで体得するものは、然らば何だ。

予言予知能力だろうか。ああ、何処に行って、何をすべきか。パウロが命題か。

いや、ひとり、彼のみでもあるまいに弟子、皆。誰もが、探す。

ああ、我。パウロ程の博識も持たず。ヨハネ程の、主近く愛されもせず。

それで、三度笠、合羽からげて、全国行脚。何時まで、やってんだ、てんで。

「ワイルド」コースが、補欠募集。それに引っ掛かった訳でして。

それに、多少が自負。嘘偽りが無ければ、よう御座んしょ。

着地点。それは、よく弁えておこうね。

 

 

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自由と民主主義」を、集結した桁ケタ違いの民衆たちが、連呼!!

それに、孤独に対処。彼が胸中は、斯くのごとし。

「集団が無意識」、怖い。

だから、孤高が彼は、孤軍。

昨日の、今日ではないが。隣国は、無神論共産、「集団が無意識」、怖い。

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わたしが、洗礼名、ピーターだったら、スピーカーのマイクロフォンで持って。

彼らが多人数で来ても、怒鳴り散らし、説得もしよう。

マイクロフォン、それはサン・ピエトロ寺院の広大な広場。全世界から、集まった信者たち。彼らに、その献身。答える為に、発明された。

違和感を、禁じ得ない。

そうではない。公言した。