かいふう

近未来への展望や、如何に。

社会保険庁の改革.その11

kaihuuinternet2007-04-04

社会保険庁が、自営業者などが支払ったはずの国民年金保険料の納付記録86人分の一部を紛失していたことが、明らかになった。

社保庁は昨年8月21日から、加入者からの記録に関する相談の特別受け付け体制を実施中。納付記録の紛失は、12月末までの約4か月間に寄せられた相談の中から見つかった。

紛失していたのは、1962年から89年までの間に自営業者などが払った保険料納付記録の一部分。加入者本人は領収書などを保管していたにもかかわらず、最長で2年分(年額約4万円の年金に相当)が社保庁のコンピューターに残っていなかった。社保庁は記録を訂正し、本来の年金額が支給されることになった。

紛失の原因について、社保庁は「わからない」(運営部企画課)としているが、データの誤入力のほか、2001年度まで国の委任を受けて保険料徴収を行っていた市町村がミスをした可能性がある。

一方、このほかに、特別体制が始まってから3月2日までの6か月余りに、社保庁が保管している記録より実際に納付した期間が長いはずだとして1万7204人が記録の訂正を申し立てた。だが、本人が領収書などの証拠書類を保管していなかったため納付した事実が確認できず、記録は訂正されなかった。本人の思い違いなどもあると見られるが、社保庁はこの中にも記録を紛失した例が含まれる可能性があると見ている。

紛失は特別体制の実施前にも見つかっていた可能性が高いが、社保庁は件数などを明らかにしていない。

社保庁では、厚生年金と国民年金に過去約6年間で約22万件もの支給漏れが見つかっている。納付記録は社保庁が保管していたが、年金額を計算する際に、一部を見落としたことなどが原因。今回、記録そのものを紛失した例も明らかになり、公的年金に対する信頼は、さらに傷つきそうだ。(読売)
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社会保険庁は3日、厚生・国民年金の約5000万件の加入記録が2006年6月現在、基礎年金番号が付与されず、現在の加入者と結びつかない状態にあることを明らかにした。

その多くが加入者の死亡などで付与する必要のない記録だが、氏名の入力間違いなど社保庁のミスが原因のケースも含まれると見られる。

1997年の基礎年金番号の導入後は、国民は生涯一つの番号で加入記録を管理できるようになった。それ以前は、転職や結婚で姓が変わると新しい加入記録が作られる例が多かった。正確な年金の受給には過去の加入記録をすべて集め、基礎年金番号を付与する作業が必要となる。

社保庁によると、約5000万件は加入者が死亡したり、保険料の支払期間が短く受給資格がない例が多いとしているが、具体的な内訳は不明としている。ただ、01年4月〜07年2月に約22万件の支給漏れが発覚している。これは、基礎年金番号が付与されていない約5000万件の記録が原因だ。

社保庁は98〜06年度に、過去の年金記録を整理するため、本人の申し出などに基づき、約1818万人に照会し、05年度までに約1147万人から回答を得て、基礎年金番号を付与する作業を進めている。(読売)

クレージーではないが、イージーです。

海上自衛隊第1護衛隊群の護衛艦「しらね」の2等海曹(33)がイージス艦情報を持ち出した事件で、神奈川県警と海上自衛隊の警務隊は3日、共同で捜査する方針を固めた。

情報が極めて秘匿性の高い「特別防衛秘密」にあたる可能性があり、漏えい事件として本格的に捜査するために、協力して内容の分析や漏えいルートの特定を行う。情報漏えいなどの事件をめぐって、警察当局と自衛隊が共同で捜査するのは極めて異例。

同県警が2曹の自宅から押収したハードディスクに入っていたファイルには、イージス艦の性能に関するとみられる「数値」が記録されていた。県警は情報の解析を進めてきたが、極めて高度な情報のうえ、自衛隊内で広範囲に情報が漏えいしていた疑いがあり、海自の協力が不可欠と判断したとみられる。(読売)

地銀から外資、そしてどうなる。

東京スター銀行(東京都港区)を傘下に収める米投資ファンドローンスターが、約68%を保有する東京スター銀行株の一部を売却する方向で調整していることが、3日分かった。発行済み株式の3分の1超を売却する案が有力と見られる。

すでに国内外の金融機関や投資ファンドに打診し、このうち、ファンドを中心とした数社と本格的な交渉に入った模様だ。

最終的に保有する全株式を売却する可能性もある。東京スター銀行株の時価総額は約2600億円で、3分の1を売却すれば売却価格は870億円程度になる。

東京スター銀行は、経営破たんした第二地方銀行の旧東京相和銀行の営業を2001年6月に引き継ぎ、05年10月には東京証券取引所第1部に上場した。従業員数は1071人で、関東地方を中心に計33店舗を展開している。(読売)
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昔々、東京都心のある繁華街に在る会社に勤めていた時、幹線道路の十字路角に構えるビルに在る本店の銀行で、通帳をつくった。
会社が近かったこともあるが、名前が気に入った。
それから何年か経て、業種を変えて、その銀行の関連会社に勤めようとは。採用された要件に、その銀行の通帳がある客であったことも、とおもっている。
苦労人の先輩やら、転勤やらするうち、銀行の名称が変わった。相互という名は残った。それから、今度は第二地方銀行になる、というので、相互が相和に再度名称が変わった。外回りする際、各支店の看板見上げては、取換え費用も大変だと、要らぬ詮索したものだった。
この業種は技術畑で、資格が要る。当時はそれが無くても、経験だけでも、勤務現場が近ければ、交通費の件も手伝って、雇用は続けられた。
第二地方銀行でも全国一か二の実績、ある時などある支店に日参して、なんとその支店のビルの建物の中に温水プールがあって、創業者一族も来るなんていう噂もした。こんな会社なら、ここで止め、にしたいと考えるのはごく普通。確かに、宿直だ転勤だときつかったが、給与も賞与も、無資格者としてはよかった、と感じた。
しかし、若い工業出た後輩も辞めたりと、落ち着かない。そのうち、別の会社募集を見つけて、その会社を辞めた。
しばらくしてからだ、新聞などマスコミが騒ぎ立てたのは。役員ぐるみ偽装して、子会社関連会社を操って粉飾、それが暴露、経営破たんを招いたのは。その裁判もかなり長く続いた。まるで劇映画「華麗なる一族」を、かってのNHKTVの名司会者高橋圭三『事実は小説より奇なり』もあってか、おもいだす。
いち早くそこを去ったのは、「華麗なる一族」の原作本、上中下と買って持っていたからかなぁ。とくかく複雑な心境ではあった。
後日、その会社の同僚のひとりと、募集して移った会社の勤務先現場で再会する。彼は期間限定の委託で派遣されて来たまた別会社の、それであった。業界って狭い、つくづく感じ入った次第。

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かって長銀が破たんし、確か新生銀行に生まれ変わり、その間、ほとんど底値で外資が買い取り、莫大な利益を得たことは、神話でもなく、日本金融史における厳然たる事実である。ことの真相を知ってる人びとは、戦慄を覚え愕然としたであろう。専門家に任せておけばよい、で済ませれば事足りる、とはおもえない。