かいふう

近未来への展望や、如何に。

フランス山へ行ったことがありますか。その1

フランス山

バウムクーヘンとサイダー      詞:ピーマン

1. 若い娘が突然テーブル前に座って 英語で話しかけてきたラウンジ
  戸惑ったぼくはそれでも 彼女の顔に幾つかソバカスをみつけた
こんな偶然思いがけない どうやらドイツ娘らしい 「みずうみ」も 牧師の息子のヘッセも ゲーテも忘れて
 眼(まなこ)で受け止めているだけだった  あの日
2. ニザンの歳はやり過ごし のぼって知ったがフランス山
「母子像」近くで見下ろせば 地震の跡などもはやさがせない
そんな偶然思いがけない どうしてフランスの人だった  きみが歩いた 瓦礫の廃墟の横浜も 神戸も歩いた
眼(まなこ)で受け止めているだけだった  あの日
3. ソバカス顔の彼女はウィーンに 喫茶店で注文しただろうか
赤紙ひとつでかり出され  サイダー飲まず死の若者が
そんな偶然ある訳ない もしかしてバウムクーヘン 「にんじん」も 三つの色したピーマンも ポテトも加えて
眼(まなこ)を澄みわたる空に向けよう  その日

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NHK 歴史秘話ヒストリア『焼け跡とバウムクーヘン〜あるドイツ人夫妻の苦難と愛〜』」を聴いた
戦争、と地震、が共感を呼んだ。
ひとり息子が召集の故国の大地が連なる地で戦死した日、と父が異国で病死した日。出征息子がウィーンでの死の翌日、ドイツは降伏文書に調印した。
その父親が神戸での死の翌日、当時枢軸同盟国日本は、天皇が「玉音放送」をした。しかも、先に死んだ息子のそれを、父親は断言して、死んだ。
この符号が、たまらなく、切なかった。外国人といえばクリスチャン、と偏見、もしくは信仰を抱くとしても。戦死と、病死は違う。違うだろう。
息子は享年29歳だ。
バウムクーヘンは、焼くのに、職人が熱で胸を痛めて、長生きができぬらしい。二度の大戦の戦火に追われて、菓子職人が、遠い異国の大地震にも遭遇して、なお職業病にも悩まされての死。時代に翻弄されつつ、伴侶を得、家庭を築き、職人芸の技術を弟子に伝えた親父。
生還を果たせば、その技術を受け継いで、店舗を広げたかも知れぬ息子。
たった一日の違いで、人の生死を分けてしまう。将兵をやたら死なせてしまう。
若い兵士として死んだ、カールフランツ・ユーハイム

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去年、東京ドーム近くの、云わばユースホステルに泊まった。相部屋だった。
戸口を開けたら、高層ビルが見えるガラス前に、欧米人が居る。会話は英語。こっちは単語。映画言語で行く、といっても。プログラマー希望の十代のドイツ人の若者である。「ローレライ」♪、ヘッセ、ゲーテ、「魔の山」だと言ったら、「マジックマウンテン」と返事。【ナチス】を口に出したら、強い抗議。プロテスタントだね。こっちのスマホで、彼の故郷のハンブルグを見せたら、イヤホン付けてた。そしたら、どういう訳か。もうひとり日本の中年が入室し、私の隣に座った。その彼と私が会話して。