かいふう

近未来への展望や、如何に。

 Yに捧ぐ

 オートバイ ララバイ♪    〜クレオパの娘は三編み〜       詞曲:ピーマン

1.オートバイで行っちまったわ それもジミーと同い歳でね
  ねぇ 残してってよ カーヴだったの
  さいごのセリフを
  やさしかったあいつ オートバイでバイバイ♪

2.指切りだけで行っちまったわ 車椅子押してた肩にもたれて
  ねぇ とばしてみてよ 風と眠るわ
  揺れてイヤリング
  温もりだったあいつ オートバイでバイバイ♪
3.ポニーテイルに指からませ 木枯らし吹いても来やしないと
  ねぇ ぽつり言ってよ 湖(うみ)の色なにさ
  わたし知らないわ
  孤独(ひとり)だったあいつ オートバイでバイバイ♪
4. あれから何年はやいものだわ 街は七本包んでくれたわ
  ほら 白いカーネー 湖(うみ)の色なにさ
  わたし知らないと
  隣りだったあいつ オートバイで バイッバイ♪
                       

                                                                                                                        • -

3日目に、もう思い出せないとおもっていた、
{指切りだけで行っちまったわ}を思い出した。
でも、それを入れるとずれる。
{キャンドルライトを点したら}を外す。最初の詞に戻す。

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2011、追補。素材屋じゅん作「カーネーション」。
2011、追補。副題、クレオパの娘は三編み、を付ける。
俄然、強気になった。コンセプトはこうだ。
これは、少女が、女になり、そしていい女になる、その年月なんだ。
飾り気なく、色っぽく、そして挑発的(もしくは長髪的)に。そうやって、唄ってくれ。
「ねぇ♪」のくり返し、はお姉さんになっていくんだよ。
いい女になった時には、七年前のいい男は、もう居ないんだよ。
だから、三編みでもいい、いい女になって、行ってくれよ。

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参考曲
マーティ・ロビンス歌「ホワイトスポーツコート」♪/ディーン・マーチン歌「ライフルと愛馬」♪/ロックオペラジーザス・クライスト スーパースター」より、「わたしはイエスがわからない」♪
ロックアカペラだってあったって、いいんだろ。非行少女になるより、ロックで発散してかまわないんだろ。口さびしいなら、怒りをぶつけていいんだろうが。

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もう昔、街道の別称もあるバス通り幹線道路。その十字路入口手前で、彼の乗っていたであろう、同じ排気量のクラスのオートバイ。
信号待ちで、三編みの若い女を、その後ろ姿を見た。車体の方が大きく、しかも運転席に細身ひとり。
事故起こさないでくれよ、とおもった。
それはもう、声を掛けてもならぬ、触れてもならぬ、そんな年代差。
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また来た春。
用事があって、海が近い所に行った。
帰り、恩賜公園だったと、森を探して、若い人に尋ね、入館料も払い、散策した。
外国人も来ている。園内のベンチ、座って語る二人も、外国の若い男たちだった。
和風庭園に溶け込んでいる。何処だろうと、彼らはそれぞれ夢を語り、希望するのだ。
岸壁沿いに歩くと、向こうから、これも外国の若いカップル。
すれ違って、彼らを振り返ると、男は女の肩に手を回していた。外国映画だもんね。ロマンチックでなきゃ。若い女は、日本人にも好かれるような小柄なきゃしゃな身体つきだ。若い者同士、異国も何もあったものではないわな。爺はそうおもう。

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その岸壁沿いのベンチにひとり老人が座っていて、後から来たので、声を掛けた。
訊くと、税理士だという。約十年年上だ。ひとり、高齢者パスを利用して、遠出するのだと言う。
それほど久しぶりに、こちらも、湾から水門を経ての内海と云えども、出入りする小型遊覧船が水しぶきを分けて進む青い海に、癒されたのだろう。ご機嫌だった。
色とりどりの小さな梅園、そして敷き詰めた黄色の万本の菜の花。その香りが顔まで届いた。甘いほんのりしたものだ。庭園内、若い人、老人の姉妹は腰掛けて弁当を食べている。

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日本年金機構の新築ビルを見ながら、走らせた。
若いカップルが、二人乗りのバイクで前を行く。
まるで、ここの詞のように、若い後ろの女は、運転する若い男にしがみついている。
それが、信号待ちで、幾度か、車体が、追いつ追われつ、になった。
正確にいうとスクーターで、後ろの女は男の身体にしがみついている方が、二人を仕切るベルトを掴むより、姿勢的には安全なんだろうな。信頼関係だな。
どうすればそんな信頼関係、できるんだ。知らねぇよ。
ナンバープレートには、同じ発行元自治体の名が見て取れる。
そのときから、どんな顔つきの女なんだろうと、関心を持った。
運転する男は、加速すれば、違反で付いて来れない、とおもったのだろう。
それでも、付いて来るので、女が不安になったのかも知れない。
最後の信号待ち、バックミラーに映る女と目が会った。
彼女の顔立ちから、ヘルメット被る男の顔形を想った。
あぁ、花の金曜日か。爺はそうおもった。何故か、過去形だ。現在完了も同じだろ。
気持ちだけは、ロック♪だ。

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2009年発行の万分の一の地図がある。
それを開けて読んでいたら、身障者集会所という記載で、あるページに載っている。彼と出会った場所だ。今も、在るのだ。
あれから、折り返してしまった。信じられない。
昨日のようだ。若くして往った者は、若いままなのだ。その者を記憶する者が生きている限り。
しかし、記憶する者もやがて皆老いる。そして、先に往きし者たちへ、と会う。
彼も、折り返し。我も然り。
その集会所から100メートル程に、道路同じ側、その自治体の福祉事務所も見つけた。

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2011年冬、クリスマス過ぎ、彼と同じ名前の店を訪ね、数十分話した。こちらが訪ねた経緯と理由を一方的に述懐しただけだが。
遠戚かどうか、回答しなくていいからと、何度も言い、聴いてもらった。終わりに、詞のコピーの二つ折りを封筒に入れ、置いてきた。

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2012年初夏、台風過ぎ、バス通りが交差する十字路で、車椅子押す若い女を、見た。
車椅子には、男の高齢者が乗ってる。
彼女の髪がポニーテイルかどうか、確認する前に、視線を離した。
こういう光景が、東日本大震災以降、だから見れた、か知らん。
しかし、プラスに受け止めた。
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アーサー・ペンが亡くなった、本年2010年の同じ月。彼よりやや早く、彼と同い歳で亡くなった、日本盲導犬育成の草分け、アイメイト協会の初代、塩屋賢一さん。初めての盲導犬は、ジャーマン・シェパード、確かチャンピー。
先日、もはやこの国有数の若者の街へ出た際、信号待ちで交差点に立っていたのは、訓練中の盲導犬を連れた、ポニーテイルの若い歩行指導員。黄色のおとなしい犬種ラプラドール。体育会系じゃないと勤まらない仕事。なんか、ドキドキしたね。この国の福祉は未来が在る、と。

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ぼくも、ダスティン・ホフマンに、貴重な青春の時間を費やしてしまった者のひとり、です。でも、それで、欧米人というか、アメリカ人に親しみを増した、のも事実ですね。
「卒業」、「真夜中のカウボーイ」、そして「小さな巨人」。
身の丈が、アメリカ人にしては小柄で、どんな役でもこなしましたね。
やはり、普遍的な、ウイットとユーモア、でしょうか。
それらが、であるが故、銀幕のスターで在り得るし、監督も、製作者の意図、まで解いて、問題提起にまで作品を高める凝視の眼精疲労を厭わないのでしょう。
DVD という、良き媒体物もあるようになったし。
アーサー・ペンの「小さな巨人」も、「奇跡の人」と共に、彼の代表作です。
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やはり昔、神奈川県内、『山吹の』の太田道灌墓所を訪ねたことがありました。私の場合、その史実の当事者双方のそれを、客観的に把握する為には、と。それで歴史を紐解けば、その相手の墓所も、以前は戦跡近くの墓地、そして最近、とある霊園内で見つけて。

金魚すくい、これまた夏の風物詩、なつかしい。
でも同じ、すくう、なら、「拉致被害者救い」の方ですね、関心は。
「マッテア教会」の所在地前橋も、群馬県内ということで。
全国自治体首長会議というものがあるそうで、つまり知事会議です。そこで、現群馬県知事は、県内朝鮮人関係施設の減免処置を継続、だそうです。各自治体単位ですから。時の権力者の意向裁量、ということになります。
それで、海風爺にしても、そのような県、内にある不動産でもある「マッテア教会」に、単身飛び込み依頼で乗り込んで、教会のスケジュールを乱してまで、壇上から、拉致被害者救い、を唱える訳にもいかんのです。
神奈川県では、ご存知のように、新知事が、条件付で、県内朝鮮学校への補助金を支給許可していますけど。マスコミ出身でもあるからかも。
つい最近、同県内、高津区溝口などで、「救う会」が街頭署名をしたそうです。
「あんた、あの娘のなんなのさ。港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ♪」、名曲ですね。