かいふう

近未来への展望や、如何に。

{Oh!men} と『負う、面』

kaihuuinternet2006-06-11

2006年6月6日、後にも先にも、もうすれ違うことはない。意識の問題でしょう。
いわゆる劇映画を、自分は入場料払って観るのは、記憶を辿れば、30歳以降なかった、とおもう。例外で観たとしても、それは無料かそれに等しいものだ。それを誇りにとか、何だとかいうのではなくて、そう自分で決めたに過ぎぬ。
それは、人間が作るものだから。完全ではなかろうし、自分にその集団に参加するだけのタレントが無い、と結論出したからでもあります。演劇人、映画人が共に作るのが、劇映画。という小学生でもわかる基本に戻って、終わり。しかし、それを無駄にしたくはなかったし、それで肥え蓄えた、真実を観る事の大切さ、それを識別するいかばかりかの力。その残像が消えない内に何かを、とおもう。
たとえば、「勧進帳」とか「忠臣蔵」、そして「佐倉宗吾」。これらは[歌舞伎]のみならず、不況時の、それを乗り切る業界の演目だし、観客が共感を覚えるのも、この国の歴史上の人物を、不幸な主人公故、当たりこそすれそれ以下はない、財産として定着しているからに他ならないでしょう。
その国のプロデューサーとディレクターの2人が、或る映画をつくるのに、その主人公に、眼鏡店で赤いレンズを注文出しても{Oh! men}。ちなみに、その少年名は、<ダミー>と<エイリアン>から原作者が考えたものではないか、とやっと結論出した訳です。それが当たってるか知らん。その映画は公開中だそうです。そして、これを載せたのを、後悔しません。
この国の病院もしくは診療所の待合室。年齢が近付いたからでしょうか、よくよく観察すると、両手で面を負おって2人が隣同士座っている、そんな光景に行き当たるかも知れません。ひとりは瞳が白い。もうひとりは緑色。お分かりでしょう。白内障緑内障の患者さんたちです。彼らが『負う、面』。
軽いですね。そう、今日の彼のくびきは軽くていいのです。アーメン