かいふう

近未来への展望や、如何に。

その時{ひょうきん者}を何故選ばなかったか。

山口県周南市徳山工業高等専門学校で、土木建築工学科5年の中谷歩(あゆみ)さん(20)が殺害された事件から28日で1か月になるのを前に、中谷さんの父純一さん(48)と母加代子さん(45)が27日、殺人容疑で指名手配されて自殺した同級生の男子学生(19)が事件前日に中谷さんの携帯電話に「あす、勉強を教えてほしい」という内容のメールを送っていたことを文書などで明らかにした。

メールの回数や会話内容の詳細は「捜査中ですのでご容赦ください」としているが、中谷さんも返信したとみられる。

現在の心境は「歩と一緒に行ったところ、通った道、そこで話したことなどを思い出すたび、胸が苦しくなります」とし、周南市に住む男子学生の両親が謝罪に来たことも明らかにした。14日夕、玄関先で土下座して、号泣しながら謝罪し、歩さんの祭壇前でも40分間近く「すみません」と繰り返したといい、「家族もつらいとは思いますが、このままではやりきれない気持ち」などとしている。(2006年9月27日読売新聞)
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学校関係者がマスコミのインタビューに答えて、加害者の男子学生を{ひょうきん者}でもある、と語っていたが、それが確かなら、何故その時彼はそれを選ばなかったのだろう。叱責されても疎まれても、{ひょうきん者}で笑われて退出しても。その後ひとり雑木林にバイクで行き、そこで土下座して、号泣しても、誰も見はしない。
そうすれば、それを選べる想像をすれば、この日はなかったろう。
ひとりの若者が過失で、ふたつの若い生命を奪い、ふたつの家族を遺族に変え、彼らの未来をも悲しみと落胆に変えてしまった。
自分は他人である。では、何ができるというのか。
彼女が天国にあるように、と祈っても、それ以上はしない。ならば、彼女の家族がこれから、と同様祈っても、それ以上はしない。
そして加害者の遺族がこれから、など、自分の罪だけで、おもいもよらぬ。