かいふう

近未来への展望や、如何に。

沖縄は仲井真弘多知事が誕生。

「基地の島」の未来は、稲嶺恵一知事(73)の後継者、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)さん(67)に託された。

在日米軍再編への対応や経済振興策を争点に19日投開票された沖縄県知事選。仲井真さんは、米軍再編で米海兵隊普天間飛行場宜野湾市)の移設先となる名護市や国との対話を重視する「現実路線」で有権者の心をつかみ、飛行場の即時閉鎖・国外移設を訴えた糸数慶子さん(59)を破った。「普天間移設は地元の意見を踏まえて政府と協議する」。稲嶺知事に続く経済界出身の新リーダーが誕生した。
仲井真さんは午後10時45分ごろ、那覇市銘苅(めかる)の事務所に姿を見せた。支持者からもみくちゃにされた仲井真さんは「稲嶺県政を継承し、県民と一緒になって(沖縄を)発展させたい」とあいさつ。目を潤ませて感極まった表情に。「稲嶺さんの倍の雇用を作る」と持論の経済政策を展開した後、「3年以内に普天間飛行場を閉鎖状態にすると明言していたが、できるのか」と問われ、「無論です。これは政府に対する私の強い要求でもある」と言い切った。

当選を支えた稲嶺知事は「仲井真さんは私より能力があり、政府にも堂々と言うべきことを言う人」と笑顔で語った。

地元財界の重鎮だったとはいえ、「学級委員にも立候補したことがなかった」という人生初の選挙。当初は演説に硬さも目立ったが、周囲のアドバイスに耳を傾け、次第に自分の考えを伝えられるようになった。

東大卒、官僚、副知事、地元財界トップという華やかな経歴は近寄りがたさも感じさせた。しかし、二女の知里(ちさと)さん(24)がぴったりと寄り添うことで、「優しいお父さん」というイメージが広がった。

公約では「観光客1000万人誘致」など得意の経済政策を前面に打ち出した。普天間移設問題では、名護市にV字形滑走路を造る計画に「政府が頭越しで決めた」と反対、「国の言いなり」との批判をかわした。

一方、糸数さんの支持者が集まった那覇市の教育福祉会館は、重苦しい空気に包まれた。糸数さんは、「私の票は基地を造らせないという思いの結集。仲井真さんはその思いをくみ、県政に反映させて」と声を振り絞り、支持者と握手を繰り返すうち涙を浮かべた。(2006年11月20日読売新聞)
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先日、ある板から、天安門事件当時の現場の陰惨な残虐な写真の数々。また最近の公開銃殺の写真のそれ。
血の気が引いた。あとで、引用した方が注意書きを読んでおけば、ともおもったが。それにしても、まだ少女にしか見えない彼女らが縛られ、首から罪状の批判板をつるされ、市街地を抜けて郊外、崖淵から銃口で撃ち落される。なんか、文化大革命の誤謬を引きずっている光景で、嘔吐したくなる気分の悪さ。彼女たちは、死刑に当たる犯罪を仕出かしたとはおもえない。そんなに軽いのか、その国では。
ある少女は、親が編んだかのセーターの左胸を鮮血の華に染めて倒れている。もうひとりは、顔面苦痛の表情で倒れている。
後日、その国では、臓器売買がはびこり、外国人は締め出し、という記事を読むと、そういうことか、と嫌が上にも連想してしまうのは、自分だけだろうか。悪寒を通り過ぎて、凍り付く。
少年時、手のひらにのる大きさの本。今は解散したであろう、{社会思想}を取り扱う出版社、のひとつに「ヒットラーナチス」の書名。その1カットに、掘り穴を前に乳飲み児を抱えた母親、その後頭部を数メートルから撃つ兵士、があった。同じじゃないか。
しかも、現代のそれは、首から下は売れるから、と計算づくであろう。それで後頭部を狙って撃つ。若者の顔面は苦痛に歪んでも、後で斬首すれば、下は無傷の商品、として扱える。重病患者は救えるだろうけど、軽い罪で奪われる若者たちの命と未来は閉ざされるだろう。
このような空恐ろしいのがネットで、とおもうに、配信した者は、義憤と国家の非道を外国に知らしめたいのだろう。内なる{国難}。
そのような国が現実にあるならば、やはり、沖縄の現実もまた、そのような国に対応するために、依然として、その前線基地としての役割を担わなければならぬ。その基地に米軍基地が含まれる、日米安保条約は堅持されなければ、未来は危うい。
米軍のグァム島移転、首都圏航空管制の再編。それでも、沖縄が戦後言われ続けた「要石」、重さは減っても、それに変わりは無いのだろう。