かいふう

近未来への展望や、如何に。

異教徒と異宗派、の違い。

kaihuuinternet2006-11-26

『復習かも知れないけれど、同郷の高崎の連隊が南洋の孤島で他の連隊ともども玉砕して、その地出身の首相が全生庵と日の出町を往復して、時の米国大統領と親密な友情を誇示した。その同じ人が超法規的措置で、{虚構の宗教}を上陸させてしまう。キリスト教国は黙認するだろうし、全生庵の異教徒たる人は、それ故、意に介さない。
そして、同じ異教徒たる国民の若い人たちが、受験の詰め込み知識しかない身で、次から次へとそれに吸い込まれていく。功罪、とはよく言うものだ。上陸させる際、『この国はサムライの国だ』とクギを刺した記憶があるが、クギじゃタカが知れてる。皇居におわします主を叫んで腹切っても、{虚構の宗教}はすでに上陸したままだ。どうする。異教徒のままでは済まない。同教徒になって後、その違いを述べなければ、信とはいえぬ。たとえ名も無い教会であろうと、キリスト教会で儀式を経て信徒となって、上陸を許してしまった{虚構の宗教}、それに対して、そう言うことが許される訳だろう。ヨーロッパの、そして新大陸のキリスト教徒も、このアジアの列島の住民が、異教徒のままでいようと、{虚構の宗教}に従属されようと、関知しない事だろう。ならば、然るべき時に言うべきで、言うべき時は、言った方がいいのだ。』

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よって定まる。ならば、もう自分は定まった、とおもう。
だから、言うべき時を逃すまい、とおもいます。
人口は増えているのだから、意見が多様で当然でしょう。
その中で、集まるのがそうなり、散るのもまた然り。
徒労や浪費は出来る限り避ける、しないのは、説得される側にはなりたくないでしょう。
お付き合いや会合もそうですよね。
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うそかほんとか、山本嘉次郎はこんな話を書いている。

召集された山中はいったん即日帰郷になったのだが、同じ帰郷組とひとまず連隊近くの宿屋に泊まったところ、その中の一人がこのことを恥じて自殺を計った。憲兵が調べに来てこの行為を絶賛したところ、他の連中も口々に同じ心であることを告げた。

そこで  「それほどまでに入隊を望むなら…」  ということで、みんな廻れ右してまた営門をくぐることになってしまった。 その中で山中一人 「私は帰らせてもらいます」 とは言い出しかねて、いっしょにゆかざるを得ない羽目になった、といい、「それを聞いて、私はゾオーッと肌に粟立つ思いがした」と、書いている。

山田風太郎 『人間臨終図巻』(徳間文庫)

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山中貞雄は、三島さんではなかった。この逸話は、初耳でした。
叫ばれる奴、として、バンザイ、で見送られてしまった軍服姿の集団。山中さんは、己の天賦の才に気付いていたけれど、その楽観は、戦場では通用しないことには気付かなかった。これから往くのだもの。
そこで、ひとり抜け出れば、営倉か、憲兵に家族は睨まれる。
海だろうが、山だろうが、彼らの遺書には、検閲で、家族が非国民呼ばわりされるという事態を避けたい、という、行間を読む、読者の配慮、いや探究心はあって然るべきでしょう。
建前と本音、の相違だ。
だから、靖国神社も、崇敬の対象として、今後、ある人は単に歴史的建造物に過ぎないかも知れなくとも、別のある人には、英霊が、会おう、といった、その為の祈りの対象でもあり得る訳でしょう。
それが、世代とか、年代とか。
最近、当時ミッションの学徒出陣組が、英霊でもある、そんな学校で、そこを運営する母体の某巨大組織が、彼らをも誹謗中傷するような行為をしたようだ。境目というか、境界線が定かでない。
誰が、当時の当時者か。その方面に係わった者か。
史実と事実を分かつ基準を、世代としても。年代違いでさえ、意見が異なる。それで、ならば史実と事実でもない、真実、ということになる。知らない者を、説得するのは苦労だ。故に、山中貞雄という例をして、知りえた真実から、何かを。