かいふう

近未来への展望や、如何に。

『いいじゃないか、そういう年頃なんだ』

深夜の夜道をひとり歩き始めたら、脳裡からなつかしいメロディが流れてきた。ウィンクの「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」(作詞・作曲: Stock/Aitken/Waterman、編曲: 船山基紀、日本語詞: 及川眠子
60年前の硫黄島の若い日本兵にも聴かせてやりたいな。
ひとつの手榴弾を囲んでさぁこれから、でなくて。
ひとつの携帯電話から。
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先の昭和戦争で、日米が死闘を繰り広げた硫黄島戦の戦利品として米兵が持ち帰っていた長崎県新上五島町出身の日本兵、田村仁平さん(39歳で戦死)の遺品の弾薬帳が26日、同県大村市に住む長男豊年さん(64)に返還された。

生還者や遺族らでつくる硫黄島協会が昨年3月、硫黄島で開かれた日米合同慰霊祭で、米国の退役軍人会から譲り受け、厚生労働省に照会して遺族が分かった。父の形見を手にした豊年さんは「62年ぶりに父が帰ってきてくれたようだ」と感無量の面持ちだった。

仁平さんは1944年7月、陸軍「中迫撃砲第二大隊」曹長として硫黄島に派遣され、翌年3月17日に戦死した。

弾薬帳はA5判39ページ。表紙に「中迫二大隊 大塚隊 田村曹長」とあり、手投げ弾、照明弾などの残量が日を追って表にまとめられている。11月22日の欄には「残弾ナシ」の記述も。絶海の孤島で物資補給がままならず、戦況が悪化する様子がうかがえる。

北九州市から駆けつけた仁平さんの長女由紀子さん(70)は、弾薬帳を手にして「きちょうめんで筆まめな父でした」と涙ぐんだ。豊年さんは「遺骨はおろか、どこでどう死んだのかも分からない。父が眠る島を、この目で確かめてみたい」と話していた。(2007年1月27日読売新聞)