かいふう

近未来への展望や、如何に。

劇映画「男たちの大和 YAMATO」を、TVで観る。

ティーンエイジの時、数十センチのプラモデルで戦艦大和を作った。確かモーター付で、電池で水面を走るものだった。スクリューも2基あったとおもう。精巧なつくりで、主砲と副砲、高角砲と機関砲、水上偵察機の左右のカタパルト。きっ水下の防水壁など、模型にしては、何か違う。
この映画の現場調査探索のTV番組の放送で、船上内の机に並んで、高齢の大和乗組員の方が、隣に座る、米国人とおぼしき中年の探検隊員に、今にも怒りを爆発させるがごとき顔面を強張らせての表情を、見たのを記憶する。
モノクロ写真で見た軍艦が、カラーで蘇って水面を疾駆する様は、それだけでも感動を覚えた。
主人公が戦友の養女と共に沈没海域まで行くその船名、明日香丸は、かって自分が明日香村から訪ねし岡寺の坂道、その中途に在った、数並ぶ墓石のひとつに見た、戦艦大和乗組みの字句に重なる。
どうしても、偶然にしては出来すぎた話だ。それで、この劇映画を観た事を、自分は肯定した。
60年は、やはり長い。戦争を知らない世代に、この劇映画は、とても強いメッセージを伝えたに違いない。その中間の自分は、それを確認した。
それが受け取れないならば、その若者の責任であろう。
誰も、この国を、チンピラ国家や、ましてや暴力団国家になどしたくはないのだから。
彼らはそんな行く末をおもって往ったのでは断じてないだろう。