かいふう

近未来への展望や、如何に。

それでもエピ。『9.11』に居た盲導犬の話。

kaihuuinternet2008-03-24

某TV局放送番組。愛犬やら、愛馬やら、そしてイルカやら、癒してくれる動物たちの物語。
あの大事件の渦中、当のビルに盲導犬が、主人のデスクの脇に居たとは。
不幸中の幸い、にも条件がある。
先ず、突入激突した階より、下層だったこと。嗅覚で、危険を察知したこと。解説にもあったように、降りる階段でも煙が上で、犬の呼吸は苦しくはなかったこと。
途中手渡されたペットボトルで給水し、休んだこと。
だが、一階まで降りて、外は落下する異物破片で危険を、係員が声を、屋外路上へと盲導犬が導くのは、動物の本能だろうか。
そのビルの管理員ならば、それが想像だにしないテロの無差別攻撃による航空機激突の衝撃とは、考えんだろうから、やはり制止されれば、そう判断したろう。
それが、この時ばかりは、生死の分かれ目であった。
何事も、結果論。人は誰も起きるとは想わない、出来事。想うことをしないで、生存本能で、明るい外へと、盲目の主人をハーネスを介して盲導犬は引っ張った。
日本では、50階を超える高層に、日参勤務する人が盲導犬を連れ歩く、という想像が先ず湧かないだろうから、この話に驚いたろう。
それで、主人を助け出したのだから。

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この話、演じた俳優と、違う若い盲導犬だとしても、やはり、あの日の激突場面は、そのビデオの実写なのである。
あれだけの大都市、あれだけの繁華街。しかもあのように晴れた日。ビデオカメラを持ってない人が居ない訳なかろう。
で、何台もがそれを撮っている。
それでも、最初の激突炎上から、更に双立するもうひとつに激突を、路上の人々が見て、その理由が判った時の、彼らの恐怖の顔面の数々。
単なる、偶然の事故ではない。次に来るものは。
何度見ても、痛ましい。視るでもなく、観るでもない。見る、しか該当しない。
これだって、無理心中じゃないか。自分がもっとも嫌悪する。

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それら映像が、その国の政府によって、放映禁止になった、という。
幼児や少年に、安易に見せるものではない。承諾します。
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その国の派遣兵士が、死者が4000人になった、という報道記事。
重くて、重くて、回答不可。
ある国の、独裁者が消えた。それは歓迎。
しかし、ある国の死者も82000人を超えた、という報道記事。
こちらも、重くて、重くて、回答不可。

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それで、眼が不自由でない者は、この日々をしっかと、見なければいけない。