かいふう

近未来への展望や、如何に。

言霊犬ヤマトを連れた青鬼クリスチャン。

たとえ笑われても、このライフスタイルこそ、現在の自分に最もピントが合うものだろう。
キルケゴールの、実存の三段階を踏まえれば、もう黄昏時であろう。
それは、ある演劇の息子の悲劇的死に、もはや涙する夢想を抱かず、
喜劇の王様のタレントの1%を追い求める空想も抱かず、
彼らの内なるキリスト教的平和を糧として、なお未知なる幻想の闇と闘う意思を、たとえ笑われてもの信念として持ち続ける、生き方なんだ、とおもう。
それは、取りも直さず、死んだクリスチャンを慕う、またある時代を独裁者と格闘した多彩なタレントの主に拍手する、それだけで終わるのではなく。
彼らの世代は旧世紀。年代も、すでに過去なのだ。
この現在の時代に、然らば、何が出来るか、問う。
そして、クリスチャンとして、問われる。
だから、無理強いされるはお断り。無駄に引き込まれるもお断り。
それら、辟易の役には、先人の教えのごとく、「否、否」を言う。