NHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録 拝謁記」 ~NHKワンセグ
昭和天皇の決断、戦後在位の継続。
~その権能の所在、への確認作業
「会話」と、「対話」。そのどちらもが、宮内庁長官。
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田島氏は23年に宮内庁の前身である宮内府長官に就任、24年から28年まで宮内庁長官を務めた。在任中に「拝謁記」と題し、昭和天皇との会話の内容をノートなど計18冊にまとめていた。田島氏の遺族から資料提供を受けたNHKが公表した。
記録によると27年当時、昭和天皇は度々、日本の再軍備や憲法改正に言及。憲法については「他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいヽ」(27年2月11日)、再軍備に関しても「侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得己(やむをえず)必要だ」(同3月11日)などと述べていた。
旧ソ連など共産主義勢力への警戒感をあらわにする発言のほか、28年6月1日の面会では米軍基地反対運動に「現実を忘れた理想論ハ困る」と批判的な見解を示す場面もあった。
一方、記録では27年5月に行われた主権回復を祝う式典でのお言葉について、田島氏と文案を検討する過程も記されていた。昭和天皇は「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(同1月11日)など、悔恨の念を盛り込む意向を繰り返し示したが、当時の吉田茂首相の反対で削除されたという。(産経)
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宮内庁は,内閣総理大臣の管理の下にあって。宮内庁長官任免は、天皇が 認証する。
初代宮内庁長官の役職、位置付けは、そうである。
田島氏は、当時の首相吉田茂と、昭和天皇との間を往復して、仲介の労を取った、調整役だったろう。
乃木希典を招いて、学習院院長として。大日本帝国憲法下の大元帥陛下に、帝王学及び軍人の何たるか。その薫陶教育された裕仁親王、すなわち昭和天皇からすれば。
敗戦への落差、国民からの乖離。それを、直接体感できぬもどかしさ。
その間に、民間出身の田島道治が有った。
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天皇陛下のそっくりさんも、探せば見つかる訳で。
それに対する民間畑からの宮内庁長官役、同年代を過ごした名優の起用も。
つまり、ドキュメンタリータッチと、演じるドラマ。そのカットの応酬が、
互いの境遇の違いを。はっきり認識させていたのである。
十分に堪能した。