かいふう

近未来への展望や、如何に。

市原悦子が、「奇跡の人」で声優してた。至芸、円生師匠の「死神」から。

イエス

YouTube」で、円生師匠の「死神」の高座を見つけて。しっかり見たい。全編視聴した。以前は、寄席で、木戸銭払う代価としての、対庶民芸だから。むし暑い日本の夏。客を怖がらせて、自然冷房。お盆休みの避暑用演目、と思いきや。
落ち辺りでは、ロウソクの火の比喩で、仏教の慈悲を想わせる。口演で、老若男女を瞬時に変わり身。これは、加えて。死神まで表現するのだから。まさに至芸の難演目。噺家の矜持も要る。
お耳なおしに、次を探したら。TV用に製作された「奇跡の人」を発見。1970年代末にリメークされた作品。それが、驚いた。劇場用「奇跡の人」でヘレン・ケラーを演じたパティ・デュークが、TV版で、アン・サリバン役。ヘレン役が「大草原の小さな家」のアイドルスター。この作品の、食事のお祈りのシーン。ヘレンの兄が、天使とヤコヴの格闘を引用する。クリスチャンの代々の家系は、息子が親父と意見対立。[聖書]から、比喩する。そんなもんかな。

アン・バンクロフトが主演の「奇跡の人」は、モノクロで、付けるサングラスも違う。この名女優は、1980年の「ナザレのイエス」で、マグダラのマリアを演じた。名曲「ミセス・ロビンソン」(^^♪、その人です。
幾ら、指文字でアルファベットを教えても。それが何を指すか、わからないヘレン。優秀な成績で卒業しても。新米で、キャリアが無い。若さのはったりもあろう。しかし、伏線のエピソードを家庭教師に語るシーンもあった。ヘレンの母親が、井戸で、「ウォーター」を。娘は先天的ではない。生後から、熱病に罹患するまでは、正常な健康児。
最後の、井戸水を両手に流しながらの、指文字。物の意味が、解った瞬間。
こういう物語は、やはりラストシーンは、監督は最後に撮るんだろうな。そこまでの過程が即ち、俳優の仕事でもあるので。体感の積み重ね、ですよね。パティ・デュークが、今度は主演でヘレン役を抱いた、役者冥利。その微笑を見逃さなかった。
日本語版吹き替え。「YouTube」だから。コメント欄で、市原悦子の印字を見て。こういう場合、アン・サリバンの声より、その役を演じた、過っての名子役、パティ・デュークが。市原悦子の声で、違和感無いか。それでしょう。
思い返せば。このキャリアが、職業替えて。「家政婦は見た!」の名演に生きた。
一枚のカラー写真。二人が居る。パティとヘレン。一見、孫とおばーちゃん。
何時のそれか、わからない。しかし、これだけはわかった。
片や右頬に頬杖の少女、それに目線の老女、二人。その空間に有るは、敬愛と信頼。
見る者誰しも。平安と癒しとを覚えるであろうと。
Wikipediaに載った、ヘレン・ケラーの30代初めの窓辺の横顔のモノクロ写真。美しくて神々しい。
ここに載せることをはばかる。