かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある日

日章旗

再発見か。残酷は、ビトク

系譜、其の一、そしてその2。

________________________________

________________________________

 

 

____________________________________

すっかり、忘れていた。

コロナ禍下ワクチン接種禍下。初回が、接種後。

味覚も、嗅覚もほとんど無くなり。依って、食欲減退。体重減少

誰しも、そうなんだ。皆、同じなのだから。

マスコミ等、吹聴が。何か、ワクチンそのものに対する。誤った認識。

だったら、どうする。何か、ボンヤリ、おぼろげな感覚。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それが、彼らが「ワクチン」疑惑。過失では無く、故意に為した。それを知った時が、反射神経。

身震いした震撼。「パンデミック」の件だ。

わたしも、渦中。

________________________________

それ以降、急に老いを感じ。11月は、勤労感謝の日祝日)の方が、近い。

Thanksgiving Day」も、重なる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

視聴して、会場から退館の際。参加者に、主宰者側の司会者が、出口真上に。

「三島先生、森田先生の、神棚が在りますので、・・。」

参加者に、当日が参加費、徴収しても。よもや、その各自、信教が自由。それを制限する訳もなかろう。

彼らが、決起。それは、戦後憲法に、不備がある故。改憲、その要を直訴したのであろうから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それが、故人に。○○と呼ぼうが。緒戦が、ハワイの奇襲で。特殊潜航艇で、殉職が将兵を、軍神

その差異は、何。

昭和の軍神、と令和の先生系譜なんだろうか。

いやいや、令和になっても「憂国忌」。

その憲法、未だいじれないが故。

令和が「対亡国備」、未だ浮上せず。

________________________________

付いて行く、義務も、理由も無い。当時が、感慨。

それより、親に。恩返ししてから、育てて上げた。借りを返してから、好きな様にせよ。もっともだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

彼は、その著作がひとつ。「美徳のよろめき」で、ビトクを使ってしまった。

われわれは、彼らを。「美学」に収納為る事が、可能だ。

見たまえ。彼らは、自ら時間を止めて。老いを、消し去って仕舞った。

若く、美しいままにある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

クリスチャンは、「先生」と呼べるは、ひとりしか居ない。

よって、わたしも、呼べない。

呼べない者は、だから。別の処遇を探した。

それで、収納為る事に、決めた。

果たして、彼らが。○○として神棚に祭られる。

醜の御楯として、あの「言霊」と共に、あるではないか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

故に。われわれは。「忍びがたきをしのび、耐え難きを耐え。」

わかった。忍耐をもって、更に生きれば。彼らが最期の、その叫びが対象。

その対象足る彼が、終戦の日に発した「玉音放送」に、その安寧と共感の、戦後を共に歩む、決断を見て取れるはずだ。

われわれには、忍耐。そのビトクは残されてある。

_________________________________

悲しいかな。戦後、70有余年経っても。改憲」為ていない。

半世紀も過ぎれば。老人には、「美学」は遠い。

せめて、そのビトクに添おう。

壇上、畳一畳程が、三島由紀夫。そのモノクロが遺影。迫力凄い

写真も、優れた芸術、その極み

___________________________________

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

彼らが、最期の場所。その建物が、地下深く、

戦時中、がBC級戦犯。彼らが処刑場が、あるらしい。

そうか、それも手伝ったか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

当時。BC級戦犯彼ら、その作品。手元が、段ボール。どれかに保管してある、ハードカバー本。

同時期、「落日」も購入。こちらもハードカバー本。著者城山三郎氏が、伝記本。

A級戦犯で、元外相、元首相を勤めた。唯一の文官。広田弘毅

わたしが、思い出したは。70年当時、関東は、首都圏。安田講堂、陥落。本部、大隈講堂周辺機動隊導入。その界隈に下宿が折、長屋造が同じ階、その小説がモデル。同姓が、野球部員。居住してあり。目と鼻先が、安部球場。そう、連想した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

川口大三郎事件の時、喩えれば。台風の目、の中に居た。

わたしは、鉄パイプを思ったが。犯人が、その凶器、丸太や角材であったらしい。

彼が家族、次男坊であり。母子家庭で在ることさえ、今知った次第。

_________________________________

後年、高田馬場下車の、日本盲人会連合点字図書館に、点訳講習に参加。

修了書は出たが、点訳には参加せず。点字器の返納を、晴眼者の係員から、云われたが。為なかった。先輩の点訳者の名簿に。高校がクラスメイトの女子名を発見して、世間って狭い。その彼女当人とも、後年。わたしが受洗した教会が近辺で、偶然再会。

世間は狭い。

___________________________

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

善き事のみを念ぜよ。 必ず善き事くる。 生命より大切な事がある。 それは、徳をつらぬく事である。 なぜ生き残ったのか考えなさい。 何かあなたにしなければならない事があって、生かされたのだから。 ―鳥濱トメ(富屋食堂店主 ※特攻隊員の母と呼ばれた)
_____________________________________

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

其の一、その2

 

kaihuuinternet.hatenadiary.com

_________________________________________________________________________