かいふう

近未来への展望や、如何に。

「嘔吐」の意味

同名の作品が、ジャン・ポール・サルトルというフランスの作家のひとつにある。でも自分はそれを読んではいない。「聖ジュネ」という作品もある。こっちはある。サルトルは、<実存主義>の哲学者でもある。
かって学生服時代、教室で授業に使用していた[倫理・社会]の、こちらは参考書のあるページ、系譜をたどると、彼はニーチェからの延長線にある、{無神論}<実存主義>に位置づけられてある。
『神は死んだ』とした19世紀の先輩から、20世紀二つの世界大戦の狭間で、故国から動員後、捕虜から釈放され、以後対独レジスタンス運動にはほとんど参加せず執筆に取り組んだ、という。
祖国パリ占領。捕虜から釈放、が決死の逃亡から生還を遂げた彼が、その際見捨てた?同志戦友達への負い目か?、あのノーベル賞を辞退しても、{無神論}は固持した。彼はひとつの目が不自由である。
だが、自分は{無神論}でなくても、「嘔吐」は回避したい。
そして、戦後60年目の今日また、折角飢餓に無く飲食したその日の糧としたものを、後ろ髪を引っ張られ、あるいは祖国を卑しめ貶めする得体の知れない某国そして亡国の輩どもから、「嘔吐」させられ奪われたくないのだ。