かいふう

近未来への展望や、如何に。

「ガラスのうさぎ」

kaihuuinternet2006-03-10

本日、首都東京にて、都知事、皇室宮様ご列席のもと、しめやかに合同慰霊集会があった。『ロスト・ジェネレーシォン』は確か、この国と現在同盟国となったその国の行動する国民的作家が、その作品中に用いた語句だと記憶するが、すでにそれは去年で、その2倍の年月を経過したのであった。還暦ともいう。しかし、戦火の中を逃げ惑い、ましてその際肉親を亡くされた遺族の方々にしてみれば、その区切り、だから合理的に、という訳には済まない。感情はある。死者の無念と遺族の残念は繋がっている。
被災当時の地図を見ると、下町の範囲は広範囲だが、JR山手線の外西側、南隣県接地区も、現在の都内23区ほとんどが該当する、この日だけでなく、まさに大空襲であった。先年、沖縄か鹿児島かもう定かでないが、羽田からの時、空港までのモノレール、車内隣席の老婦人はその片手の甲か腕だったか古傷で横浜空襲の話をされていた。
この題名の本も、アニメも、そして劇映画もある。語るべき体験者の方々も居る。還暦過ぎたから、もう戦争は無い。そんな事誰も保証しない。『善人が誤謬は、自分以外も全て善人、と誤解することである』、この創作をもって、然らば、その誤謬を突いて悪人がのさばる、とは言ってない。隙を与えるな、そこから来るものが悪でないと彼らはその口では決して言わないから。誤解は可能な限り速やかにそれを解こう。そう努めよう。ことの善悪だけに拘泥してしまった。しかし、悪とは恐ろしいもの、そうだろう、それに変わりはない。
だから、法治国家でいこう。道徳、というと、何やら主観から逃れられなくて、そう感じられて、突き当たる感がする。また創作『哀しいかな、我われはその各々の主観から逃れられない』。法律は、そんな個から、社会規範として、その国の民が基盤として、犯罪から家族を友人を、そして集団を守るもんなんでしょう。そして究極はこの国を外国からさえも。注意してほしい。「からさえも」と言及するは、その外国がこの国とそれを形造る民に、脅威をちらつかせ、恐喝をなし、恫喝しなければ、無くて済む事。
平和ボケが、戦争体験者高齢化と介護など、誤謬の範疇外なら許せる。しかし、少子化なのに練炭自殺ニュース。誰がボケてるの。先にあげた作家原作の劇映画「老人と海」、身近に感じる此の頃。しかし、名優が演じたその漁師、格闘の末得たんだっけな。