かいふう

近未来への展望や、如何に。

あるジャーナリストの死。

茶本繁正氏が亡くなった。この名は、忘れなかった。もう30年前、当時流行っていた○○運動、体育会系かとおもいしが、彼が著作のそれは、《虚構の宗教》に対する反駁の論だった、と記憶する。勇敢な前衛知識人、という印象がある。実際そうであったろう。前衛こそ、誇るべきだ。余談だが、だから自分は記録更新横綱より旭鷲山派なんだ。
当時TV番組、ひとり気鋭の脚本家と○○運動の若い連中が対面で討論していたが、ひとりの側がその人の兄弟が特攻隊(最近知った)、複数連中がひと年代違うとなると、こっちは『デケイド』(10年)のズレ、だとおもったりした。これも余談だが、それで中間にJ・Aも歌った『ワンスアポンナタイム』らしい。
昨今、自国の拉致被害者も救い出せぬ、演じてる某国大統領がいるが、彼がその場しのぎに持ち出したリンカーンの余りに有名な言葉。それをもじれば、《虚構の宗教》など、《半島人の 半島人による 半島人のための協会》に過ぎぬ。21世紀を迎えてその光を浴び、主の栄光を祈ってきた者にとって。
ついでに言わせてもらえるなら、そのような《虚構の宗教》は、他の公益法人、たとえば社会福祉法人彼らの領域さえ脅かす、厚かましい集団にしか過ぎないんではないか。いらぬ盲信するんでなく、点字、手話、車椅子など数多くある必要な補助に持てるものを使うべきではないのか。
偽善というものがある。先に言った悪ではない。両者が行き来するか、知らぬ。両者が手を結んでいる、そんな真実知りたくも無い。しかし、彼らが存在したがっているなら、知りたくなくても、知らなくても、彼らはそうする。ならばこちらも、偽善を看破する術を身に付け、防ごう。
万人に問うがいい、善と偽善とどちらを取るかを。栄と虚栄とどちらを取るかを。

平和とは、語り継ぐべきを聞いて記憶に留め、かつともに生きるに相応しい人たちとの出会いを探ろう。