かいふう

近未来への展望や、如何に。

、ジャワ島沖、大地震から。

【パンガンダラン(インドネシア・ジャワ島南西部)=黒瀬悦成】インドネシア・ジャワ島南西沖で発生した地震津波の死者は18日、少なくとも262人に上った。

AP通信が伝えた。行方不明者は160人を超え、2万3000人以上が避難生活を強いられている。

最大の被災地となったインド洋沿岸の観光地パンガンダランでは、海岸線から突き出す半島の海水浴場が壊滅。国立公園にも指定されている同半島の海岸通りに軒を連ねるリゾートホテルは、津波の衝撃で屋根や壁を吹き飛ばされていずれも全半壊し、無残な姿をさらしていた。かつて砂浜に密集していたという、ヤシの葉や竹で出来た休憩所や屋台は跡形もなく流され、廃材の山となった。

地元のホテル従業員(39)によると、津波の高さは約5メートル。海岸線から約200メートル内陸まで到達し、海水は「黒くて灯油臭かった」という。(2006年7月18日読売新聞)

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【パンガンダラン(インドネシア・ジャワ島)=黒瀬悦成】米地質調査所によると、インドネシア・ジャワ島南西部沖で17日午後3時19分(日本時間同5時19分)、マグニチュード(M)7・7の強い地震が発生した。

地元テレビなどによると、震源に近いジャワ島南部沿岸の観光地パンガンダラン市などを津波が襲い、少なくとも67人が死亡した。行方不明者は数百人に上っている。

日本外務省によると、同市一帯に在留邦人はおらず、17日夜現在、邦人の被害は確認されていない。

地元報道によると、津波は高さ2〜5メートルで、海水がいったん沖合500メートルほどに引き、その後、津波が逆に内陸に向かって数キロ押し寄せてきたという。観光ホテルや食堂、民家の多くが津波で破壊され、逃げまどう住民で市街地はパニック状態に陥った。

パンガンダラン市西方約30キロのバトゥカラスでは、外国人サーフィン客数人が津波に押し流されて行方不明となっているほか、さる5月27日のジャワ島中部地震で数多くの死者が出たジョクジャカルタ特別州のバロン海岸でも2人が津波にのまれ死亡した。

震源ジャカルタ南方358キロのインド洋で、震源の深さは約10キロ。首都ジャカルタでも揺れは感じられたが、17日夜時点で首都圏の被害は確認されていない。震源地近くのオーストラリア領クリスマス島(人口約1500人)では地震後、潮位が約60センチ上昇したが、被害は確認されていない。小中学校を併設した現地校の教頭、アラン・ソートン氏(51)は「海岸部に住む約200人が地震後、自主的に一時避難したが、夜までに自宅に戻った」と話している。

今回の震源地は、ジャワ島中部地震震源から南西に約300キロ離れているが、中部地震の際は津波の発生はなかった。2004年12月と05年3月に起きたスマトラ島沖地震では、いずれも津波が発生した。(2006年7月18日読売新聞)

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日本経団連は18日、インドネシア・ジャワ島中部で5月下旬に発生した大地震の被災地を支援するため、会員企業・団体から募った義援金が、目標の1億円を上回る約5億8800万円に達したと発表した。

この募金とは別に、各企業が独自に現地へ贈った義援金や救援物資を合わせると、支援総額は約15億8000万円になる。

ジャワ島では17日にも近海で大地震が発生し、津波などの被害が広がっているが、経団連は今回の義援金を救援活動に充ててもらう一方、被害状況を把握した上で、追加の募金活動を行うかどうか判断する。
(2006年7月18日読売新聞)

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1980年、アメリカ西海岸、セントヘレンズ火山が大爆発で、綺麗な稜線が北側無残に陥没し、その土石流及び爆風が森林をなぎ倒し、下流に押し寄せ、57名の人命を含め甚大な被害をもたらした。
環太平洋地震帯の一環をなすこの地域は、後1989年、ロマプリータ地震、サンフランシスコ。そして1994年、ノースリッジ地震ロスアンゼルスと続く。カリフォルニア州サンアンドレアス断層と深くかかわっている。
かかわる領域の地質学者研究者たちは、それが地震帯に位置するなら、噴火すれば、次は地震。そしてその場所が海洋や海岸に近接するなら、その次は間髪置かず津波。これは既知の常識、昨日は教訓。
当日は、避難あるのみ。
先々月からの一連の動向。そして現在では読み人知らずが言、『天災は忘れた頃にやってくる』
観光に来ていた欧米人の若い被災者が発した「tsunami!」
己が不運の天災に遭ってからではなく、遠泳までの自信があろうと、日本人でなかろうと、その恐ろしさを脳裏に叩き込んでもらいたい。
折りしも、この日本で初のライフセービング国際大会が千葉県の観光地砂浜で開催されたニュースもあった。
最近、この国の民のひとり頭の借金の額の大きさを知ったせいか、海外自然災害がニュースで流れると、政府が拠出する、特に無償の金額が気になる。国際収支が、役所の職員でもないのに、気になります。