かいふう

近未来への展望や、如何に。

TVの面目躍如.その10

kaihuuinternet2006-07-19

3夜連続で、NHK1チャンネル「世界遺産・フランス縦断の旅」を観た。といっても、オルセー美術館が元駅舎で、その大時計のすぐ下、終点が「オルレアン」。「オルレアンの少女」は誰か、知ってるからこそ、意識が集中したのである。その夜は、そこまで。
{LIVE}を画面右上に取材車は、カラっとした農業国の田園地帯を、晴れた空の下、左右を見渡す。城壁がある。中世の都市だ。城門を抜けると、城の塔にも登るが、その後であった。広場の正面、プロヴァンの教会。「オルレアンの少女」が叩いた、その教会である。扉が開かれ、案内される。異教徒ではないが、拘りの異宗派の自分も。その堂内、神の声を聞いた彼女は踏み入れた。決して海の外に出ない、その者への、わずかな最後の至福、{LIVE}である。
そして今日も快晴。丘の頂上に尖塔が見える。そこが、ヴェズレーのサント・マドレーヌ聖堂。堂内地下に、この地まで来た、マグダラのマリアの肋骨が安置されてある。{LIVE}です。それで、十字軍聖地奪還の出発点だと知った。60年前の大戦終了後、ナチスドイツの兵士らも十字架を持ち、欧州各地から徒歩で参集した数万の人々に加わった。それも内壁に並べてある。
数々の逸話を聞いて、日本の取材チームも、聖堂裏庭石畳にて、晴れ渡った緑と整えられた大地の平原にしばし千年の歴史を眺め、感涙を禁じ得なかったは、自分とて同じ。国境を越えての平和、それを守りし、手渡してくれた民衆への敬慕であったに違いない。
その地は聖なるものが支配を、若い旅人たちはその感受性で素直に受け取った。
自分も癒されました。嘘じゃないです。これって、何なんでしょうね。
シラーにも感謝する。「第九♪」の合唱の詞(元詩?)もそうだし、ドイツ人にして「オルレアンの少女」執筆とは、やはり歴史家だ。

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{他のそれ以下の女}って、それじゃぁ、彼女らは、ずーっとそれ以下の女でしかありつづけない、ことなんだろうか。
「赤線地帯」という名画は、女優が売春婦を演じて、名女優誕生、という図式で終わったら、それっきり。
じゃぁ、巷にいる売春婦をどうにかせにゃならん、ってんで、俳優や映画監督のタレント無い人びとの出番、が回ってくる。
すべては美しい虚構、という約束事、という暗黙の了解、のもと。
お金と時間を費やしてまで、映画館とか演舞場とか、館内事を承知で、観客は、それを喜ぶ。涙腺を潤して、自宅の日常へ帰る。
結局、{他のそれ以下の女}を、そうじゃなくするのは、では、仏教とか、キリスト教とか、宗教の領分なんでしょうね。
そこで、御仏の慈悲とか、神様の福音とか、最終の手段、方法、用具、必携品。