NHK総合「風林火山 軍師と軍神」の再放送も観た。
ドラマのどこまで史実で、どこから先がフィクションか、脚本家に委ねられているだろうから、要らぬ詮索は野暮でしょう。
それで、何故二度までこの回を観たか、自己分析してみるのも、ウツ状態からの脱却に役立つかもしれない。
軍神が高野山に二度行ったのは、ナレーターのベテラン女子アナに語らせているので、史実だろう。上洛の折、というものうなづける。稀代の天才の聖域ならば、そこにも寄って帰国するは、諸大名や公家への宣伝にもなるであろうから。
だから、弘法大師すなわち空海さんの名声が諸国に知れ渡っていた証でもある。関東管領を引き継ぐ景虎が出向かぬはずもなかろう。権謀術数に長けた家臣の助言の有無はわからぬが。
京の禅宗大徳寺で宗心という僧名をいただき、なぜに真言の高野山にある僧院を訪ねるか、自分も大徳寺の石庭を観光で利休の山門くぐった者だから、その辺は、高僧たちは融通が利いたのだろうな。
奈良の華厳宗東大寺の戒壇院、そこにも観光で行ったが、やはり、空海帰国後、真言密教が隆盛を極めたのも、彼の比類なきタレントに依るところを誰もが認めたからだ。
それで、奥の院、信玄と勝頼親子の墓、そして謙信の墓。他数万に及ぶ墓地。あれ、すると、天目山を目指した敗残の勝頼が生害石のある終焉の地の墓石。どうも、分骨らしい。大名の遺言か、残すだろうな。家臣が、高野山奥の院まで来て、そこにも墓を建てることを。つまり、それぞれが所縁の寺院を持っていた。これは、ドラマでも紹介していた。
かって訪ねた広島の不動院、境内の重要文化財の家屋に天井の龍の絵。
この寺の敷地内、福島正則の墓は比較的新しく、戦国武将のそれか疑ったが、手前の真ん中に亀の石材で墓があり、それを円形に囲む幾多の墓の数々。誰か大名の分骨とおもいしが、自分には太閤さんにおもえたが、わからぬ。
さて、そうだ。話がそれた。佐藤慶さん演ずる高僧は、軍神と軍師を諭す。ここで、曼荼羅の絵図で、毘沙門天と摩利支天の居場所を両者に示す。
足軽大将が片足を引きずり、ひとり高野山まで、とおもいしが、この後見事な殺陣で視聴者を、両者は会ったんだ、という設定を納得させてしまう訳だ。
景虎のガクトさんも自らのインタビューで、長身の体躯なのに小柄な謙信がつとまるかと話していたが、この殺陣を観て、ミスキャストではない、と謙信する、いや、確信するに至った。合格点の謙信像を作り上げた、とおもう。
そもそも、読んでないが原作が勘助の由布姫への思慕も占めているんでしょう。
『弘法も筆の誤まり』は有名だ。天才も人の子。誤まりは、あるよね。
でも、この格言、それとも名言、にはユーモアが含みである、と読んでしまう。それほど、人柄も感じさせるのだ。書道の三筆のひとりにして、ある学者は日本仏教布教の三傑のひとりに上げている。
そのひとり、行基は甲斐の国にも所縁がある。落ち延びる勝頼が寄った大善寺も行った。聖徳太子の橘寺には行ったし、川崎大師には行ったし、クリスチャンの執事としては、求道者に対して異教徒の歴史は少しは知ってるのだが。行基開山の霊山観音は、関東、頼朝も登山口まで来た看板。小生も、途中まで登山し、数十センチはあろうかの段差石段、心臓に負担と、断念しました。近くの七沢温泉にて、初めてボタン鍋を食し、なかなかの味でした。
大日如来を中心とする諸仏とそれを守る毘沙門天と、そしてあるなら摩利支天。軍神と、ドラマで軍師が胸にある摩利支天、それも弘法大師はすでに指摘していた。その遺徳は、この時もすでにあった、という訳だ。
関西に眠るその遺徳にたよらず、龍の旗を掲げる軍神と、晴信とその軍師は剃髪して、戦することを選ぶんですな。
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空海さんの時代にはなかった、都市の工事工事の騒音、振動、そして排気ガス。それらに取り囲まれてもなお、ゴホンゴホンと咳きし、あるいは両の耳を覆い、揺れる床上で食事も箸がおぼつかない、としたら、「神よ」、「仏よ」と祈るより先に、逃げ出したくなりますよね。深呼吸忘れた安眠阻害された公害市民なんて。
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キリスト教が、彼が選別した12弟子と、直接肉眼で見ていない、しかもそれ以前はむしろ迫害した側にいたパウロの不屈でタフな地中海伝道が無かったなら、布教伝播叶わなかった。これは、否定できないことでしょう。
それを、特定の単一国家の、しかも異教のそれに譬えても、専門家からはお叱りを受けるでしょうけれど。
でも、こと日本仏教に限ると、最澄はアカデミックな教育者、ヨハネの様に映ります。
すると、空海はパウロ型でしょうか。
学生時代に、親のスネかじって購入した、増谷文雄「キリスト教と仏教の比較研究?」、ほとんど読まず終い。その後倒産した筑摩書房版、ダンボール探して見つけたら、原価償却したい。
最澄在りせば、の鎌倉新仏教ですから。武家政権発祥の地なんでしょう。だからこそ、そこへ乗り込む、時の権力者に己の宗教的カリスマやら、自ら高僧を証するだけの信心と度胸がないと。
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「以心伝心」は、ここが出典でしたか。
もう、半世紀近く前、教室で学んだ、杜甫や李白の漢詩。中国と大陸を連想し、時代を超えた詩心と漢字の文化としての優れた価値を、想ったものでした。担当教諭の熱意も感じました。
今風に云えば、キャラの違いですよ、ね。
クリスチャンからすれば、何度でも、それはヨハネ型とパウロ型、なんだから、です。これも、余りに、荒唐無稽なかつ語弊ある分け方なんですけれど。パウロのような迫害、それよりの転向もないですから。
でも、空海の布教独歩の全国行脚は、他の何人たりとも真似出来ない。
一方、山深い僧院に籠もり、若い後継者を育てるということも、机上に経典、前に彼らを正座させて、まとめて講義する、という形式を踏まえなければ、確実かつ効率よく、伝授出来ない。
これはだから、君とは違う、という、布教行脚の過程を決めた空海から、アカデミズム最澄への、決別文と受け取れます。
アカデミズム云々ではなく、キャラの違い、の確認文書でしょう。
今でも、広く丸い編笠に目を隠し、托鉢の独歩僧を街中で見掛けます。宗門は知りませんが、あれは明らかに、世俗にある者に、彼らの修行修練の厳格さを、その正体を問うて来ます。
兄貴分空海から、そう喝破されても、独り民衆に降りていくカリスマは無いんだ、と、それでも僧院教授に耐え忍んだ最澄もまた功徳ではありませんか。