横田めぐみさんが新潟市内で北朝鮮工作員に拉致されてから30年となる15日、新潟県警は拉致現場の周辺でビラを配り、改めて情報提供を呼びかけた。
中学1年(13歳)だっためぐみさんは1977年11月15日夕、学校からの帰宅途中、自宅近くで消息を絶った。県警は、誘拐事件などに巻き込まれた可能性が高いとみて日本海の海岸近くの林や海中などを調べたが、手がかりはなかった。
北朝鮮が拉致を認めたことを受け、県警は2002年10月に捜査本部を設置。捜査資料を洗い直し、北朝鮮で一時、めぐみさんと暮らした拉致被害者の曽我ひとみさん(48)に事情を聞くなどした。しかし、今も拉致の状況などはわかっていない。
捜査員らはこの日、現場周辺の民家を一軒ずつ回った。ビラを受け取った大野梓さん(81)は「当時は空き地もあり、今よりも暗く、(工作員が)どこに隠れていてもおかしくなかった。事件を忘れてはいけない」と話していた。
めぐみさんと同じ中学校に通っていた男性が今年になって、事件当日に帰り道でめぐみさんを追い越したことを証言するなど、今も新しい情報が寄せられている。
県警の小幡政行・外事課長は、「年10件ほど寄せられている情報には、我々が初めて知る話もある。30年たった今だからこそ、言えることがあると思う」と言う。(読売)
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30年が過ぎてしまった。尋常でない。身震いする程だ。家族からすれば、国難だと、おもう。事実、そうなのだ。気付くだけなら、小学生でも、教えれば、理解する。
恐怖と戦慄の出来事である。それが実感できないなら、国民としてどうか、とおもう。実感しよう。この国の公安組織の職員たちが、優秀であるにもかかわらず、それを掻い潜ったのは、それ以上の悪がこの国に侵入し、この国民を拉致という非合法の手段で奪い去った、法治国家に対する挑戦である、ということだ。こんな挑戦は要らぬ。御免被る。こちらが嫌がってもそれを働くのだから、拉致を実行したその国を疑う訳だ。どんな輩がそんな時代錯誤で不法なことを、謀略を理不尽を思いついたのだ。
反吐が出る。嘔吐する。それが、国際連合でも結束した、現代社会の良識である。
その輩どもが臆面も無く、千両役者のつもりでするから、真相が垣間見え真実が見えてきた人たちは、余程劇場に観劇に行くより、拉致被害者救出も含めて、関心と監視の対象とするだろう。この国の民は、その眼は節穴ではない。現に、この事件に係わって、数多い映画演劇陣が作品を提示したのも、彼らの営業妨害まで波及する事件故だろう。観客も、生命と生活の安全安心が維持保証されなくては、それを感じられなければ、映画館や観劇等行かぬだろうから。
未解決の現実を打破するには、地球上の各国が、拉致被害者を抱える国々と連携して、包囲網を固め、徐々に、しかし確実に、それらの隠ぺいされし事件が、いかに各国から非難され、反感を買い続けるか、気付かせなければ。
それにしても、地球上の各国の小学生でも気付く事を、未だ先延ばしする、それがわからん。
それは、わかってはばれる、為した悪事と働いた不正、そのものだからであろう。