かいふう

近未来への展望や、如何に。

宗教画の効用。これは、「イコン画」。そして、VS「救世観音」

イエス

我われの情報の80%は、視覚から、と言われています。ですから、毎度、爺さんが外出で、電車等に乗ると。ほとんどの乗客が、片手のケータイやらスマホにピントを合わせる形で、降車駅まで。それにニラメッコしてる情景に、遭遇してしまいます。もう、そういう時代に突入、後戻りはできません。爺さんが外出は時々ですから。新鮮には映るのですが。
宗教画にも折に触れて、助けてもらいました。ダビンチ、ミケランジェロ、ジオット、ルオー、そしてミレー。
先日、ある画廊で開催中の「イコン画」展示を鑑賞した。「イコン画」を創作した会員たちが、その作品群を発表、批評も兼ねての懇親会でもあるのだろう。私は、客であって、美術という行為によって、分身たる作品をば、未来に残せる身分ではない。それを為し得た彼らと対面、会話して。感じ入ったは、彼らの眼差しの優しさ。「イコン画」を描くが、信仰の証なのでしょう。証を生み出して、かつ作品は、後世に残るのだから。しかし、その絵画は、滅私ではなくて。夏目漱石が云う則天去私なんだろうな。「イコン画」は、私があってはならない。無記名で残す。
かって、「救世観音」を見た著名な日本の作家が、それが、誰が彫刻したか、わからぬ故。そういう作品が書けたら、と。彼の文章で述べていた。彫像と著述の、領域の違いはあるけれど。その文章でさえ、小説の一ページからの抜粋か。別の随筆での記述か。忘れました。受験用参考書に載ってた例題です。