かいふう

近未来への展望や、如何に。

「海と音楽」/辞世の句ではない/「フランチェスカの鐘」♪/民主党野田政権は、平成デモクラシー足り得るか/昭和天皇、また別の奇跡/「異説 孤軍死(上)・(下)」/「異国の丘」♪も/ハープ♪の音色/「岬めぐり」♪ならぬ/アコーディオン♪の音色/「りんどう峠」♪ならぬ/「哀愁でいと」♪ならぬ/「雨に唄えば」♪ならぬ/ピアノ♪の音色/「レクイエム」♪ならぬ。そして、ある脚本家の訃報/『音楽の父』とグランピ♪,ならば「マタイ受難曲」♪をどう聴くべきか/神童と父、さすれば後は「月光」♪の彼/FMで聴いたある王様と、な



http://epiano.jp/
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白いワンピースの水着の若い女に、
白い乳酸菌飲料のガラスコップを、
白いパラソルと白い丸いテーブルに、
白い腕で差し出してもらい、
真夏。
白いビーチに、白だろう雲と空もある。
そして、流れるのがニニ・ロッソのトランペット「白い渚のブルース」♪
そんな一日、あっていいんでねぇの。
これ三振か。じゃ、もらえねぇな。
トランペットだもんな。

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終戦記念日過ぎて、黄色ポイントカードの店に行ったら、白い乳酸菌飲料、の値段60円上がってました。今夏の喉越しは終了、です。
当選者のエントリー、よく出来たコンテンツです。『果報は、震災地現地報告なう』でした。
若い新人さん、です。

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手帳を新しくして、地元商店街の馴染みの店に行ったら、白い乳酸菌飲料、ご贈答用4本セット(うち1本北海道産生乳使用)の値段、半額でした。

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ソクラテスは言った「汝自身を知れ」
ボクは云った『何時地震を知れ』
彼は言った「悪法もまた法なり」
ボクは云った『痴呆もまたそうなり』
彼は、毒杯を仰いだ。
ボクは乳酸菌飲料を仰いで、くたばるまで。
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今年は、卯年で、兎馬の異称もまかり通る年でもありますので、卯の花咲かせるにはいい年、でしょう。         豆人 
 卯年来て 兎馬乗る肩に 卯の花や   マッテヤのアカペラ 待ってた証 
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フランチェスカの鐘」♪を聴く。
地デジ、の7月24日以降、FMでしか聴けないので。
歌唱は、二葉あき子さん。
広島被爆の日、乗った列車がトンネル内通過中、ということで被災を免れた。
当時の録音風景が、偲ばれる。
彼女の歌声だけが、伴奏も控えめに、通る声だ。
何より彼女がよく、広島の被災した状況を、思い描いているのだろう。
廃墟と、焼け野原の市街地を。
そこに隈なく届かすように。
伝道者のようだ。でも、歌なのだ。     そこでは、誰も何ももってない。
彼女も歌しか持ってない。
でも、それを届かそうとする気持ちはいっぱい。こころにしみわたる。

あの、「長崎の鐘」♪と、双璧をなす。藤山一郎の歌唱。
どちらが先、か知らぬ。
でも、片方が広く歌われて、もうひとつの被災地が、こっちも作らねば、とその地にゆかりの人が、結果仕上げたのだろう。
男声と、女声も違うけれど。
両方とも、気に入っている。
彼らは、あの時を思い出すのだろうか。
そして、戦争後の年代は、あの時を想うのだろう。

YouTubeでも聴いた。
こちらは、間にセリフがある
なんと、男が修道院入りする、というのだ
前代未聞の、何も残らぬ地上
気が触れたような口調のセリフ  高杉妙子主演女優の声
そして哀愁漂う歌いっぷり

今でも聴くには、セリフ無しの方がいい

                                                                                                  • -

後日、FMで彼女の特集を聴く。
かなりの歌を吹き込んでいる。「夜のプラットホーム」♪、「恋のアマリリス」♪、そして「水色のワルツ」♪がお気に入りです。

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地方自治体の、非核都市宣言平和事業、としての、
長崎市ピースメッセンジャー「平和学習発表会」、に参加した。
長崎市立K中学校の生徒さんら約20名が、被爆体験の聞き取りや平和学習の成果を発表、というものである。
「嘉代子の桜」という寸劇を演じた。
女子はセーラー服、男子もワイシャツだし、舞台の高低もない床だから。それでも、ダイジェストらしくても、要点把握はしっかり。
その日、嘉代子は頭痛で帰宅した。が、母は、家が教師だからか、促して娘を学校へと。
そして、11寺2分、被爆。探す両親、それらしきを見つけ、追い返した母が泣き崩れる。
この間、パソコンのフォルダに収めた、嘉代子さん本人当時のモノクロ写真を、芝居する後方にプロジェクターで写し出す。
おかっぱ頭の彼女がいる。物静かだが聡明さが顔に出てる。
当日も雨だし、バスも往復料金出すし、でギリギリまで思案した。それが霧雨で、出費無し。
それを、決めたのは、故伊藤一長氏の狙撃事件及び裁判、のニュースである。
選挙中の、事務所へ帰るのを、犯人は、後ろから銃で、当時市長を殺害した。卑劣極まりない。
歴代被爆都市市長で傷害事件はあったが、死者は確か初めて。
それで、遠くからの青少年たちを、観客がひとりでも多く、がいいと、ヒゲ面でも、と。
彼らの発表後、地元観客から応答では、当時やや離れたに疎開して助かった女の人やら、3月10日の東京大空襲で縁故疎開して被爆された女の人やら、お二人とも当時十歳前後。現在市内在住ということで、66年後の今日。
もう一人は男性で、昭和年代に亡くなった父親が、軍人として宇品港からか、市街地を救援で歩き回り、放射能汚染で病死した話。
そんな広くない室内空間。
老いた方に入る自分としては、被爆者に近いが、健常者では遠来の青少年に近い。
本人が語る被爆体験は、重く悲しく、会場もそれらに包まれる。
この場合の、自然という例えは不当で、被爆そのものが、不自然な人為的な受容に相違ないのだ。
強いられし受容の可塑性変形は、目視ならない。浴びた者だけが、その日まで、誰ひとり判らぬまま、闇の奈落へひとり沈んでいく我が身を日毎背負わねばならない。
隣から彼らの肩を抱いて、その病が転移、治癒するなら、引き受ける者が居るや否や。
取って換われるはず等ない事を、皆承知している。
せめて、彼らが癒されるであろう方を、選ぶにしても、彼らが発言し泣き、共に泣くことで癒されるなら、そうもしよう。
だが、彼らはだから泣いてくれ、とは言わないだろう。
あぁ、石牟礼道子のタレントが欲しい。
だが、彼女も拒否するだろう。
医者だからとて、免許の可否もない。
身体にしみ込んだ放射能は、朽ちるまで。
不健康は、戻らない。
誰か、癒す者を知らないか。
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民主党野田政権は、平成デモクラシー足り得るか。
『こんな日もある野田 その38』は、延長編。『菅さん、国会閑散としてますよね』
最近の某紙、「一坪共有地」1人和解、と載ってた。
あの、そう、あの、成田空港反対派、三里塚芝山連合空港反対同盟熱田派の地権者1人が和解、9月13日、千葉地裁
当時の、闘争の様子、モノクロ映画で、国側対農民側。
いわゆる国策で、遠い処の話、だと距離感ばかりが先にあったが、30年経て、
『通すな外環』で身近に感じると、こっちも国策で、お上に逆らえねーってんで、疲労と徒労感ばかりが残った。
30年前のそれは、空港対農地、それも先祖代々の。
つい最近のそれは、国道対駅前商店街と閑静な住宅地。
それだけでは済まなくて、今度は、未曾有の[地震tsunami]で、この国のもうひとつの国策、原子力が、暴露されちまった、という訳だ。
原発増減と放射能汚染除去。
難題抱えて、何処へ行くんだろう、この国は。
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先日、8月15日発行の、TOWN MOOK 「日本の天皇 国難天皇の歴史」を購入した。
沖縄パック旅行の際のバス車内、マイク受け渡しの十八番で、高齢の女の方、歴代天皇の名を、まるで機関銃のように、述べていた、のを思い出した。
昭和以降生まれも、そうするか否か、知らぬが、その本には、歴代天皇肖像画で、載っている。どこからが、本人似なのか、わからぬけれど、明治天皇以降が似てたので、安心した。

この本の、要点は何か。2ヶ所、残す。
表紙裏と1ページ、震災被災地で、瓦礫と廃墟に頭を垂れる御夫妻の全身の、宮城県知事もいるワイド写真。写真提供、ロイター・アフロ。
この前傾姿勢、どこかで見たな。
そうだ、以前、サイパン行幸での、バンザイ・クリフでのあの光景だ。

昭和24年の九州巡幸では、奇跡とまで称して、載せている。勿論、昭和天皇での事。
その、また別の奇跡があって、それは、佐賀県での最初の巡幸先、某寺にある、洗心寮という引き上げ孤児の寮を訪ねての折、位牌を手にした女の子に、陛下が話し掛けられた。位牌は二つ。
陛下と女の子の会話が続く。
「私は淋しくありません。私は仏の子です」
天皇は、部屋に入り、帽子を持ち替えて、空いた右手で女の子の頭をゆっくり撫でつつ、
「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育ってくださいね」と大粒の涙を流された。
すると、ふいに女の子は呼んだ。
「お父さん?」

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海千山千の新聞記者までが、嗚咽を抑えられない始末だ、とつづく。
時代は替わっても、そうか、ブロガーも海千山千の類かな。それでいいのか。
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異説 孤軍死(上) もしくは『わが敵ヒットラー


昭和○○年、二見浦に程近い浅瀬に、ひとりの若そうに見える、制服を身に着けた男が、何やら叫んでいる。坊主頭でなく鉢巻もない。
だが、左手に抜き身の白刃をかかげている。
すると、どこからか、銃弾か。彼は前向きに海面に倒れた。
数メートルの位置から浮かび上がった彼の顔と胸下辺り。海の碧に浸りし髪は濡れて黒々。
また飛んできた。
やがて上体を起こすと、周りを赤く染めた訳でもなく、何もなかったかのごとく、水中をなおも突き進んで行く。
銃弾の発火の地点を定めたろう、その眼差しは睨みつつ、胴体下辺りで波が洗う。
砂浜ではない、波打ち際が現れた。
波打ち際からさほど離れぬところで被弾。
水面下で顔を漂わせながら暫くの間。
その顔が微かに揺れる波間から、浮き上がるのにあわせて、彼の海辺から、ひとりの兵隊が現れて、水面に出たその顔面向けて、腕をのばして、拳銃の引金を引いた。
その被った軍帽、軍服に見覚えある。ナチスの将校の、それだ。

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西暦19××年、ナチスの軍帽と軍服に身を包む将校が、報告する。
「シキシマだか、ミシマだか、聞きました」

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西暦194×年、スカンジナビア半島における、英国の「モスキート作戦」は失敗に終わり、核爆弾製造に用いる重水素工場は、無傷のまま残った。
西暦194×年、英国への大陸間弾道弾「V−2」への「クロスボー作戦」も失敗に終わり、核爆弾搭載の可能性が濃厚になる。

西暦194×年、ナチス・ドイツは、核弾頭搭載の『V−3』を装備したと、連合国軍と休戦協定を締結。

西暦194×年、突如、ナチス・ドイツは、「日独伊三国同盟」を破棄して、核弾頭搭載の『V−3』を配備したと、攻撃を材料に、進駐。
西暦195×年、『独ソ不可侵条約再締結』。

同年、伊勢、熱田の割譲を要求するも、ならず。ハーケンクロイツは日本の寺社のマークだと主張。同年、回航する「U−ボート」を伊勢湾内に投錨。湾内にある島に無断上陸、占拠。  

昭和○○年、すなわち西暦195×年、二見浦に程近い浅瀬に、ひとりの若そうに見える、制服を身に着けた男が、何やら叫んでいる。坊主頭でなく鉢巻もない。
だが、左手に抜き身の白刃をかかげている。
その彼が、ナチスの将校が報告した「シキシマだか、ミシマだか」のいずれか、知る由もない。

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異説 孤軍死(下) もしくは『入るヒットラー


昭和○○年、すなわち西暦195×年、ナチス・ドイツ総統が訪日する、という。
同年、松代地下大本営、発表。「ヒットラー総統は、伊勢エビ所望の際、外宮のみならず内宮参拝、御鏡を拝見との意向。枢密院、軍令部次長ならびに陸軍、海軍大臣等会議中。」
「ハイル ヒットラー」は、内宮に『入るヒットラー』だとナチス・ドイツは主張。
シキシマ特務は、御鏡防備の任拝領仕る。総統が御鏡をば内宮より外へ持ち出しの時は、これ如何に対処せん。神器なるぞ。国家の一大事。
当日、伊勢エビ所望の際、仕来りと称して、秋刀魚も添えて、エビのみ食して秋刀魚残せば、それを食台に載せて、内宮棟まで氷に包ませ持参し、もしもの時は、それにて必中仕置きをば。
内宮の鳥居にて、『シュプレヒコール!』および『入るヒットラー』を連呼。
これを見た沿道のシキシマ准尉は、『あいつら偽者だ』と呟いた。
総統は側近共々、内宮に入り、御鏡を手に取り、息を吹き掛け、曇った、を理由にテイクアウトを主張。
内宮参道にて、『偽者ぞ、偽者ぞ』と呼ばわり、シキシマ特務は、先程の冷凍秋刀魚で、総統に切り掛かる。総統の軍帽の前面の金色の紋章が切れ落ちた。
総統は御鏡を手放さず、軍用車両に逃げ込んだ。側近のナチスの将校が拳銃を取り、特務目掛けて構えたが、他の日本兵に遮られて、すぐさま続いて乗車。軍用車両は走り去った。
特務は、将兵たちに囲まれたまま、憲兵隊に預けられた。ナチスにも従軍記者のカメラはある。
取調室に電話が入った。憲兵が受け答え後、特務に受話器を手渡し、退出する。
『決まってるじゃないか。双方偽ものだよ』
『だが、持ち出されたのが偽物であると、わかると拙い。それで、君にはしてもらわん事には』

昭和○○年、すなわち西暦195×年、二見浦に程近い浅瀬に、ひとりの若そうに見える、軍服を身に着けた男が、何やら叫んでいる。坊主頭でなく鉢巻もない。
だが、左手に抜き身の白刃をかかげている。

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『そうか、やったか。・・ついては内大臣に、しかるべき御高配をたまわるよう』

その時の服が、ナチスの将校が報告した、制服だったのか、軍服だったのか、いずれか、知る由もない。

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平成○○年、何やら切れ落ちた金色の紋章らしきものが、伊勢神宮内宮の参道近くで、見つかった。
北側で金メッキが剥がれていた。
西暦201×年の年でもある。

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ある者にとっては不本意かも知れない。
また別の者には真意で無いかも知れない。
だが、その着地点しか見い出せなかっただろう。
そして、それでも年代は移りゆく。

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深夜、ラジオのFMで、歌謡曲鶴田浩二特集を聴く。「傷だらけの人生」♪から、「好きだった」♪まで。「赤と黒のブルース」♪、「サンドイッチマン」♪、そして何と「異国の丘」♪もカバーしてる。
藤田まさと作詞、吉田正作曲が多い。
彼の歌声も、そうだ。
フランチェスカの鐘」♪を歌い上げた二葉あき子と同じく、背後に昭和がある。
暗い、つらい、苦しいが復興へと坂を歩き上ろうとする、健気な純な気持ちが、響いてくる。
何も持ってない人たちが、またかって持っていたそれらをもう一度、働いて得ていこうと決めた、定かではないが、不安を抱きながら、でも固い信念のようなものが、感じられる。
そういえば、鶴田さんは「フランチェスカの鐘」にも出演されたらしいから、すると、あの、ひとり修道院に入る男の役か。
そうそう、極めつけは、「男」♪というのもあった。
戦後を、俳優人生として、男として。
歌詞の合間のセリフに、異存なし、なのは、説得力があった、からだ。
この人も、昭和の人なのだからだろう。

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現状、北朝鮮による拉致被害者の方々、「異国の丘」♪を何人の方が知ってるか、知らぬ。
夜間、布団の中で独り口ずさんでいる方が居るやも。
たとえ平成バージョンでも、歌詞は同じ、ですから。
拉致被害者を救う大集会でも、今後、「故郷」♪だけでなく、「異国の丘」♪の合唱もあっていい。それで、被害者早期解放に向かうならば。
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先日、500mlの紙パックも、回収の対象になる、のを読んで、ここ週間、最寄のコンビニで、どうしてか、500ml紙パックの棚商品が割引が幾つかあったので、結果空箱が増えた。
それで、それらが溜まったので、コミュニティセンターへ持参を考えた。
とあるコミュニティセンターでハープのコンサートがある、という。
さて、当日。やや遅刻したが、一曲目も聴けた。演奏者と同じ床だから、数メートルの至近距離。独奏会である。
金色のヒールで、傾けた大楽器の下、ペタルを数、それも上下、動かす。
受付の指示で、左側に陣取ったは正解。
休憩はさむ前半に、「サウンド オブ ミュージック」♪のメドレーもある。
演奏者は小柄な女性だが、奏でながら楽譜もめくる。
選んだ楽曲の中に、かってこの地に住んだ「夏の想い出」♪の作曲者の別の曲もあった。
「美しい音色だ」。後ろから年配らしき男の声を聞く。半円に取り囲んだ椅子に座る聴衆もほとんど年配だ。
彼女は、複数台をこなした。演奏してた。
やや小振りな方が、レバーハープ。メドレーはこちらだった。
大きいのが、ペダルハープ。肩に近いほど、高音。
終わりに弾いた「愛のロマンス」♪はスペイン民謡である。それで、よもや、とは思いつつ、主旋律に入ってやはり、あの「禁じられた遊び」♪ではあった。
ラストがこれだもんね。涙目になってしもうた。
やはり、ミコを思い出した。大島みち子さんだ。「愛と死をみつめて」の片目眼帯の彼女である。
天国に在るミコは、思い出した皆のものですから。「ニクイねぇ、酋長!」、このフレーズ、わかるかな。
当日パンフにはさんであった「朧月夜」♪、アンコールでハープ伴奏に、皆で合唱。本当に久しぶり、声を出して合唱するなんて。伴奏者の魅力と力量に敬服してこそ。
「銀座十字屋通信 秋号」配布は、イタリア統一150周年、とある。
イタリア北部は、ヴァイオリンの名器の町クレモナだけでなく、「ハープの町」ピアスコもある訳だ。
入場無料のライブもあるので、楽器の女王ハープに興味あるなら、どうぞ。
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若い時、「岬めぐり」♪というフォークを聴いた。山本コータローさんが唄っていた佳作。
茶の間のテレビから流れて、軽快なテンポで、全国の視聴者を、旅愁に誘い出したにちがいない。
ならぬ、霊園めぐり、を最近してる。
花一輪と引き換えに、平成更生の、励ましキップを、遺徳と共にもらおう、という魂胆である。
本来ならば、かなわぬ墓参も、有史以来の東日本大震災、と冒頭陳述して、お参りさせてもらっています。
先日、同墓地、第二弾ということで、諸氏に対面してきた。
激動の昭和。軍人、実業家、教育者、建築家。
不謹慎かも知れぬが、これが結構、リハビリにもなる。緑の敷地内を探して、歩く、歩く。
足の筋肉は使う、呼吸も深くなる。
各自の墓碑銘を読み時代を追って、しばし思索する。
職業軍人の方々には白菊、前回同様。
それ以外の方々は、問わない。少年時、夢をくれた映画を作ってくれた。
青年時、陥落した講堂を作ってくれた。
その時の某学校の長、彼の伴侶はカソリックらしい。
中年時国家試験受験時、の某キリスト教系学校の第何代目かの長と、航空事故死した軍人の御子息。親子では、親と同色系の献花とした。
何かしら、間接でも、気が済んだ。昭和への暇乞い、の通過儀礼
ちなみに、前回初回は、明治以降の軍人、作家、評論家、日本画家、漫画家、そして家族所縁の作曲家。
少年時、街頭演説で見かけ、後年演説壇上で凶刃に倒れて殉職された政治家。    
それに当然、クリスチャンの複数。
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地域には、福祉施設はある訳で、その自治体が東西に細長とか、地理的条件が加わると、大型の床板面積の建物や、中規模のサブとか、離れて存立する。
秋の日差しの中、緑の小さい公園内で、市内在住の園芸家による、菊展示会があり、鑑賞した。菊人形の水分補給など、質問もした。
会話すると、通の人には、こちらの正体と浅学がバレるものだ。
霊園等で献花した中の、あれも小さな菊だったんだ、と知る。
気分を好くして、バス通りを歩くと、大型床板面積の建物を見かけたので、行った。
ちょうど昼時、障がい者の働くパン工房と喫茶店が店内通しになっていて、各テーブル上に、当日の「お昼のミニコンサート」♪のチラシがある。
複数の女性アコーディオン奏者による合奏会である。
それぞれの単奏も含めて、7曲聴いた。
若い娘さんやら、家族同伴やら、奥のカウンターやら、パン食しながら、シャンソンもあったし、洒落たパリ気分に浸れる。
茶店外の施設内通路で、開放された室内入り口で、職員共に車椅子の障がい者も聴いていた。勿論、最前テーブルにも杖を置いて若い障がい者も居る。
ここまで、来たか。そうだよな。わずかでも施設で働いたのは、もう30年も前の話だもんな。その間、この国は、平和だったもんな。
一度でも、その辺で生計立てた者は、この国の福祉の、上げ底ならぬ、底上げを欲するだろうし。そういう政策もふくめて、政治に関心も持たざるを得ないだろうし。代議士と呼ぶは、選挙と投票は、その為でもあろう。
私もちいさな唄も、アコーディオン演奏やら、ハーモニカやら、リコーダーやらで、聴かせてもらえたらな。
その為には、あと数歩の前進か。
残せるか、残らないか。意欲だよ。意志だよ。
某指揮者も紙面で述懐してたっけ。楽譜♪です、譜面です、と。
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2011、樺美智子さんの命日の日に、
内村鑑三氏の墓参を果たす。そして、新渡戸稲造氏も然り。
同じ墓苑に眠る。
きっかけは彼女だから、やはり、天使のような威光、と受け止める。
二十歳に、はたち、という別称があるように、
何れクリスチャンになったやも知れぬ彼女、ならば、白無垢の天使で、白・樺美智子。
オコられるかな。
上記、霊園めぐりの一回目の報告は、別項に載せたが、彼女の墓参は果たせなかった。

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霊園めぐりの二回目、コンビニに電話して、店員経由で、店主と思しき人に、そちらで置いてある仏花は、仏教以外の者は購入不可ですか、風な質問をぶつけた。
そんなことはない、という返事だったので、少一時間経て行き、即座に注文して、カウンター下のプラスチック円形容器上を見ると、値段が百円値上げ、消費税も含めて、仏花の下に印字してあるではないか。
店主と思しき人は、紛れも無く、非クリスチャンだ。商魂逞し。
「いいですか」
カウンター越しの、年上の方の女店員は言う。たかが二束。注文後、否とは言えない。
途中、バス通り対向車線側に看板見つけ、更に二束買う。
今回日没は、午後四時半。初回夏ではなく、もはや秋なのである。
それまでに、届けたのは、半数ちょっ。
残りをどうしよう。夜道を運転しながら、思いついた。あそこに届けよう。
そして寄った。未だ記憶にあった住所だ。沖縄生まれの戦中派は、受け取ってくれた。

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ここからが、「りんどう峠」♪ならぬ、三回目となる。
そして、リベンジでもある。元の値段まで、その日まで、待った。そして、その日が来たのである。今度は、でしょう四束。
値段優先の、その日墓参であるからして、どうしても、出発時刻が遅くなる。
今回は、「文化の日」が予定ずれて、翌日。
平日が目立たなくていいだろ、が回答。
日没午後四時半は承知済み。秋は深まった。それに曇り日だ。
霊園内の、墓所区種側を、読み間違えがあったので、管理事務所に寄った。正しい読み方を知る。数踏まぬと、わからぬものだ。
で、持参数の約四分の三を届けた。四本残した。その本数分、花の名がちがう。色とりどり。
その中の一本、りんどう、だと思う。
島倉千代子の初期の歌に、「りんどう峠」♪がある。その歌詞に、こ紫、とある。
ペットボトルに砂糖を溶かし入れて、挿してあるのも、こ紫色してる。

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新緑の爽やかな風がやさしい5月。
NHK・FMで、昼過ぎ、島倉千代子特集を聴く。
「この世の花」♪、「からたち日記」♪、デュエット曲♪。そして「人生いろいろ」♪。
つい最近出した新曲。
その間の彼女の事情をわかっているであろう、業界の方々。年齢に添った楽曲を提供され、歌ってきたから、共に歩んできた感情もすんなり。歌謡曲だから、通俗的であっていいんだし。
でも、それを島倉千代子が歌うと、ちがうんだな。終わりまで聴いてしまう。
美空ひばり、次は島倉千代子、は戦後日本女声歌謡史、は変わんないな。

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そして、序破急ではなくて、起承転結の結、すなわち四回目。
いつものコンビニで、見てから、尋ねると、やはり昨日買った残りは、売り切れ。
残りの四本と、それに砂糖まで入れて日持ちさせた、それを無駄にしたくなくて、出発。
あの、バス通り対向車線の花専売店も二度目。クリスチャンの理にかなっている。購入一束。
三回目にもらった霊園案内図、二枚目。これも、クリスチャンの理にかなっている。
三回目、並びに最終回の墓参は、明治以降の軍人、作家、活動弁士、政治家、俳優、歌手、翻訳家、社会事業家、学生活動家、そしてクリスチャン団体など。
例外に、その家族、未だ未公開の偶然見つけたクリスチャン。
例えば、父親が乗客の航空事故死無くば、その息子の死もなかったやも。息子たる彼は、アイバンク献体をば遺言にした。当時からすると、先駆的ではある。
それで当方、クリスチャンであるにもかかわらす、その死を肯定できぬのに、彼が記憶から消えぬ。
いつものように、管理事務所隣の休憩所の、室外の切り株の机と椅子に腰掛けて、案内図の最短距離での目的各墓所を、その道順を調べた。
安堵したのは、かって未来完了で言ったことに、落着せし事。
その墓所には、「文化の日」翌日以降、11月25日までの期間、墓地前段にある横一メートル程の石の中央にある数十センチの円形溜水に、白菊と黄菊と赤カーネーションが、満月夜に「豊饒の海」を映しても、あるいは枯れてその日に到るもよし。
彼の作品「熊野」に、そんな情景の描写がある。

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若かりし時、劇映画「キスカ 奇跡の作戦」を観た。映画館か、テレビでか忘れたが。
それで、観客のひとりたる者として、ならば、その島とさして距離がない、もうひとつの島の守備隊山崎大佐の部隊は、何故玉砕をしなくてはならなかったか。
奇跡という名のついた、第二の自然たるもの、を観て、それだけで、観た者は奇跡の中に生き延びる、と半ば楽観した。
劇映画も興行経営の、娯楽作品でもあるからね。
それは、錯覚で、ある黒人の若者が己の父親を評したように、時代と格闘しないと、伝わらないのだ、と。
時代と格闘しても、玉砕しかなかったのが、先の大戦ならば、そのひとつがアッツ島ならば、身代わりになって、そうしてくれた当時軍人の方々に、どういう形で、その犠牲に報いるか、答えるか。
どうしても、という思いにかられて、遅まきながら、墓前に参る。
畏れと共に、今回の大震災をば口実に、とは言わぬ。
軍人には白菊、ではあるが、その日に数限られた際は、明治より昭和の、及びその家族とした。

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日露戦争は、世界第0次大戦、という見出しの特集記事を、先日某紙面に見た、記憶あり。第一次大戦が、菱形の戦車と航空機の登場の近代兵器のそれ。第二次大戦がジェット機とロケット及び核兵器の投下被爆。「明治の魂」は、現代兵器にどう備えるや。

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そうだ。りんどう、だったね。
最後のそれ、りんどうが残った。もう午後5時近い。日没は確か。それでも、その区に行った。懐中電灯あったから。それを手にして、照らして、探した。
ひとつ独創的な墓石があった。しかし、最奥にあるその前は芝生。献花する、差し水受けらしきは、見当たらない。
それで、退却しようと、園内路面にでたら、高齢の女の人が、飼い犬連れて、夜間の散歩。
尋ね人、と日没後の怖さを問うたら、近くですから、の返事。
この時、彼女にくれてやればよかったんだ、残ったりんどうを。
前かごに、砂糖を溶かした残り水のペットボトルに挿してあるも一輪。その茎も短くしなかったから、どこかの路面の段差で、落ちたんだろうな。
以前、商店街の店舗で買った青梗菜。冷蔵庫に入れといて腐らかした。それと同じ。ドル換算で1ドル越えると、罪悪感。
帰宅後調べると、独創的な墓石の主。彼の名前の字数でいたが、墓石の字数は、○○家之墓。伴侶が先に入ったからか。教職から、作家に転じたが、同様の転職でも、「若い人」書いたような作風ではないから、最期も四国を舞台の代表作の様な。
彼の死も、当方クリスチャンであるから容認できぬからか。
似たような症状、出てきてるだろ。
こういう時、クリスチャンなら、あのりんどう、夜来の雨で水を得て、数あった花弁に、早起きの少年少女に拾われますように、と祈るのだろう。

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墓風がある、を発見した。
そりゃ、校風、社風。就職には、それらを想うがな。
キルケゴールの段階でいえば、墓風は、三段跳びの最後。
今回訪ねし、諸氏の墓地。和風もあれば、洋風もあり。
そこには、だから、風情がある。明治、大正、そして昭和。
真新しい墓石には、平成が漂う。時代情緒でも呼ぶべきか。
故に、訪ねた本人の信条や生活様式に照らし鑑み、献花か、添花か。判断を迫られもした。そんな気風ならぬ墓風を感じた。
ある墓所では、奥まで進んで、献花を拒絶拒否され、投げ返されるくらいなら、花を散らされるより、手前で添花を、選択した。
言霊、霊魂とは、そういうものだろう。差し障りがあってはならぬ。
だから、畏まって、しかし自分流で祈った。
故人に手を合わすのに、クリスチャンのみ、はない。
そこで限定しては、かっての国難を切り抜けた先人諸氏に、お参りできぬではないか。
あの時彼は必要だった。その時彼女もそうだった。
そして、今この時、この国難を誰もが切り抜けたいのである。
願望があるのだ。

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洋楽を、歌謡曲にしてアイドルが歌った「哀愁でいと」♪という名曲があった。なかなかのメロディだ。
某ジャーナリストが、北朝鮮拉致被害者のひとりに対して、「家族」を{遺族}とするが如きの暴言を吐いて、罰金刑判決を受けた。
被告は控訴せず、確定となる。
罰金刑を支払うジャーナリストは、テレビという媒体を通じて、かなり全国に知名度があり、出版物もある。
であるが故、この度の地裁判決は、北朝鮮拉致被害者を救う、支援する側からは、よく踏ん張った土俵際、であり、気合を入れ直す節目。
これ、判例になるんだろ。よかった。よく持ちこたえた。
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ここ両日、発売40周年記念、これまた期間限定半額商品に、夢現
「マック ザ ナイフ」♪という曲もあったけど、こっちはハンバーガーの、それ。
以前一度あったそうだが、焼肉アンド岩塩の方で、知らなんだ。
カウンター越しに、店員の若い女の子に、インタビューで、如何に、次回まで延命はない、老人が、経済的に購入可能か、聞いた。
実質半額の無料券をば4枚、を選択。店内、午前零時が近い。
平成キッズ殺到のイメージが、真夜中、それも雨降りの外。二階もガラガラ。
テイクアウトの体験がしたくて、帰宅選択。途中、十字路で若者がひとりを見つけ、Mマークの茶袋を掲げて、俄か広告塔。
その彼、店舗方向へ歩いていった。
あったかいバーガーの枚数食べ残しを、冷蔵庫か冷凍庫で後チンして解凍、に女子店員が回答する訳ね。
半額分の4枚をば即刻たいらげたが、一枚これで\100、気持ち薄いな、パンも具も。
アメリカンコーヒーの薄い、とはチト違うはずだけど。
という次第で、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」♪のごとく、の帰路ではなかった。
彼も、40年前の、このマックを口にしたんだろうか。
梅雨がある日本の気候からは、その曲のメロディラインは生まれない、が持論です。
そういえば、ごく最近の紙面で、芸能界でお仕事する若い浪曲師が、きっかけは、フレッド・アステアのタップダンスだったとか。彼女言うに、ジーン・ケリー派とフレッド・アステア派がいたんだと。わかるな。
さぁ、これから、第二次半額購入に、外出します。
もはや来ない機会に、12枚腹に入れた。
同数の無料券、新聞配達店に届けた。普通数ヶ月分前払いするのを、毎月その都度、領収書書きを貰う、その御礼。
何時引っ越すか、定かでない故。年金支給年齢の引き上げ、繰り延べの予断許さず。

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公会堂で、「ふるさと○○○市民のつどい」という集会、に行った。
ハローワークの出張相談も以前やっていた場所で、駐車場もある。
一階ホールに入るは初めて。今回第18回で、主催は、政権交代で野党に甘んじてる某党○○○総支部
講演者に引かれた。彼は、以前、日比谷公会堂で、北朝鮮拉致被害者を救う大会、が数度開催の折、当時拉致議連の会長も務めた国会議員で、彼の顔色も見たかった。血色よく、ユーモアの談風も健在。
この講演の後、地元に戻り、更に東北へと行く、かなりのハードスケジュール。
この国の首相の交代の目まぐるしさも指摘され、現与党の素人っぽさも指弾。所属政党の内事情も少し開陳。会場聴衆の反応も感覚している。軍事オタクとして定評で、プラモ製作も数あるそうな。この国にも海兵隊が要る、そんな話も出た。
来るべき選挙での雪辱を期す構えだ。
前市長も、彼の講演直前に、同じ壇上で決意の程を述べていた。
パンフレットを開けると、ご協賛一覧で、地元商店街、地区ごと、印刷されてある。
入場受付で手にした総支部のカラーチラシの印刷所の社長も、今回市議会選挙当選議員として、壇上椅子から挨拶した。
隣接自治体からも議員たち、観客席前方に陣取って、挨拶あり。政党主催の会場は、こんなものだろう。雰囲気を感じ取ることが肝要。
二階左側面前方座席で、コンサートも聴いた。
同じ会のソプラノ歌手とピアニストだから、息もぴったり。
ピアノ独奏リスト作曲「愛の夢」♪の際は、二階の手すりの鉄柱との隙間から、彼女の鍵盤上を踊る両の手の白さにも見入った。
ソプラノ独唱には、ブラボー♪の声も出た。「サマータイム」♪は終わり頃、カーネギーホールでも響かせたビブラートというのか、聴覚損傷老化の偏屈者の耳奥までも届いたから。彼女も夏途上の年頃なんだろう。若い情熱は傾聴に値する。
〆は、「故郷」♪と「里の秋」♪、の観客との合唱。両曲とも大のお気に入り。
特に、「故郷」♪は、拉致被害者家族会らと、日比谷公会堂などで、合唱した歌でもあった。
本日講演者もさることながら、想いが重なって、しばし、途切れがち、ではある。
アンケートにも記したが、会場を出る時は、ポカポカ暖かかった。
国難を承知する政治家の熱情、並びに若い音楽家の情熱を、素直に受け止めてきたからだろう。
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午前中、数日前からの疑問を、公的機関に、質問した。
あの日以来、いつの日からか、某紙の社会面かに、数センチ四方の枠で、
震災被害状況、死者と行方不明、そして下段、避難者数が載っている。
その切抜きを手帳に貼ってきた。
そして先日。死者と行方不明の数字が下一桁推移なのに、避難者数は急に頭一桁増えた、のである。
10万未満が、いきなり30数万に増した。
切抜きには、死者と行方不明は警察庁まとめ、そして避難者数は政府まとめ、となっている。
勿論、政府まとめ、の方だけ聴いた。三県の仮設住宅入居者をプラスアルファで加えた、だと。
30数万って、市クラスの人口だよな。
先日、熊本市政令指定都市に仲間入りして、それでも特例で、今までの基準より少なくしての認可。水俣がすぐ浮かんだが。
落ち込んだね。30数万人が、衣食住に事欠く臨時生活だろう。
同じ頃、東京と大阪での報道写真の受賞作品が載って、これもそれぞれ切り抜いたが、どちらも家族を失った、未だ孤児と知らぬ少女未満、泣き崩れる主人だった。
本当に、国難だと痛感する。
復興、そして復旧ならば。復旧まで付き合えても、後は若い人。彼らに頼むしかない、とまで想う。
その日が、設定したその日を迎えられたら、
どこかにしまい込んだ「レクイエム」♪を探して、聴こう、と想う。
昭和の人びとにをば暇乞いして、また、かっての未来完了、の設定をゴールすべく。

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演奏会を聴いたのではない。
日本モーツァルト研究所所長によるレクチャーあり、ということで、市民文化会館に行ってきた。
展示室。「特例展示、モーツァルトの自筆譜、ミサ・ブレヴィス へ長調 K192 トランペット・パート」とある。譜面のモーツァルト本人の自筆サイン、も確認した。
滅多にない事だ。

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この展示室。もう何年も前、来たことがある。
その時は、展示物は、あの悪名高い、アウシュビッツなどのユダヤ強制収容所の、青と白の縞模様の囚人服も見た。
その時のチラシも持ち帰って、囚人服の少女たちの、諦念の表情の、モノクロ写真を、幾つか、注視した。
十代の彼女らに、諦念を強いる、はないだろう。
いわゆる、悪者が写真を撮ってる、その側で、同じ視点で、その写真を、半世紀経て、地球の反対側で、見ている、のである。
毎度、出てくる言葉は、無力と非力である。己は、何もできない。手も足も出ない。
とても、半世紀前の、同じこの星の出来事、とは思えない。思いたくもない。
でも、わずか数センチ四方の小さな肖像写真が、それも強制された囚人服を着せられた、写真である。
或る国の被爆、と比せられる負の遺産である。
為す術を知らない。誰の罪か、問う。
誰が不在か、疑いもする。思索と称して、黙考して、疲れて、眠り、
翌日、あぁ、あれは夢だっんだ、と目覚めて、忘れる。

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その「レクイエム」♪でさえ、本日の講師によると、もはや、彼亡き後補作した作曲家との共作、との結論が定着。
元来が、画家が自画像のごとく、己が死の直前の、為の曲ではなく、当時亡き妻の伴侶からの依頼品。
それが、された側のモーツァルト本人の、最期の作品とダブったがこそ、またまた神童伝説。
それだけ、幼年時より、当時馬車で陸続きのヨーロッパをば、宮廷の招きも含めて、の巡業の旅の果て。その疲れか、あの若さの死。
周囲の嘆き悲しみ、今も彼の曲の数々、聴けば、誰彼が同じ答え。その大いなるタレント、惜しむ声がこだまする。
励みとすべし。曲が浮かんだ者よ。たとえ、どんな些細な調べといえども、彼の作曲家の気力を、見習うべし。
その若き死を惜しむ、を捨てるなかれ。

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脚本家、石堂淑朗さんの訃報を知る。
「日本の夜と霧」の共同脚本、受賞「黒い雨」。そして「非行少女」の脚本でもあった。
日本シナリオ作家協会長も勤めた。社団法人。
ひとつ、記憶が残る。テレビで、対談形式で、某信仰団体の当時若い信者複数と、話していた。
広島出だからなのか、隣国発のその某信仰団体とは、対面相手なのであった。
「夜と霧」の本は、私も読んだし、上記三作品も観た者からすれば、そのテレビでの対談時、脚本家を職業とする彼の側に、私も同調したのは、記憶してる。
そんな訳で、脚本家を職業とする彼がキリスト教信者か知らぬが、文芸を生業とする作家が、故に虚構もあり、の仕事もするインテリが、当時神秘的霧中の若い信者複数と、どんな激論をするか、興味があった訳。
新世紀に突入して早10年。インテリが職業の彼が、どんな結論をその当時対談相手の某信仰団体に総括したか。
その若い信者複数とて、その後とっくに離反してるやも。
若さ故の未熟は、誤解や誤信をも抱合するから。
数多くの虚構を構築する生業とその経験と勘から、当ブログの拙者と同様の捉え方をしていたんではないか。
そう推理する。異教徒であったとしても。

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「母の日」の前日に、NHK・FMで、生放送を聴く。N響定期演奏会、NHKホール。
ディレフレ作曲「レクイエム」♪、作品9。
指揮尾高忠明、合唱新国立合唱団。
尾高さんは子供の時から聴いてきた曲、だそうだから、気合も入るんだろうな。
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アコーディオン♪の音色、で紹介したベーカリー&カフェのお店に行った。
今回は「おひるのミニコンサート」♪とチラシに印刷され、毎回印字にも気分がちがうらしい。
もう演奏は始まっていたが、驚いたのは、その同じ床のステージに、なんとグランピ♪、すなわちグランドピアノが座ってる。
若い男の演奏家が、気軽に弾いている。
バッハの曲であった。その日の短い時間に、主として、彼の曲が多数。
アヴェ・マリア」♪もそう。シューベルト/バッハ・グノーともあった。
そして、「主よ、人の望みの喜びを」♪も聴く。
グランドピアノの背景は黒いカーテン。後日、確認したら、駐車場。
店内中央のテーブル、囲む椅子四つに、独つだけ占めた。右手側にピアノ、左手奥に店カウンターの位置である。
店員が来て、注文を聞く。彼女は、以前も店内で見掛けた、障がい者の女子で、同じ種別の対象者は、30年も前、他地域で、手前職業の客として応対した。
今回は、こちらがお客さんである。
テーブル上のバスケットからメニュー表を取ってくれ、新メニューの写真チラシまでの、至れりつくせり、である。
新メニューのそれ、を注文した。ライ麦オートミール、亜麻仁、大豆、モルトミネラル、ひまわりの種、そして植物繊維がある、チーズとハムが挟んであるトースト。セットでコーンスープ、とホットミルクが付いてる、という。
ホットミルクが単品で、ランチタイムのほぼ半額の値段表を見て、店員の彼女の言うセット料金を、疑ったのだが、そうだと言う。それで、頼んだ。
彼女の障がいの種別を知る者として、その応対の集中力は、優れたものだ。30年も前、職員だった者からすれば、健常者の数倍は集中してる。いや、こちらの無知の為せるが故、だろう。
数倍は集中をもってして、接客してるプロの仕事に、もてなしを受ける側として、心底濃密な時を享受したのだ。
私の隣のテーブルには、小型乳母車に乳児、離乳食をスプーンで口元に出す若い母親らも居た。カウンターまでの客も含めて、グランドピアノの奏でる名曲を聴きつつ、こういう時空間を共有できるのは、なんということはない。店員として働く障がい者彼女らの、働く喜び、の意欲があればこそ。
若い男の演奏家は、机上のチラシにはない、クリスマスソングと英語で書かれた楽譜本から2曲をアンコールしてくれた。
ここんとこ、連続して拝聴する若い演奏家のアンコール直前の曲は決まって「アメイジング・グレイス」♪ではある。この曲の生まれた由来を知った者としては、痛く我が身に照らして聴く年齢だとおもう。
温かいコーンスープ、そしてホットミルク、ではあった。
食後、腰掛けたまま老眼で視るカウンターには、半額の文字が。支払い時、その一袋も合わせて購入した。
私のテーブルを往復してくれた従業員の彼女の障がいを知ってる施設指導員、並びに親御さん、そして当店カウンターの職員は、その寿命の事も承知してるはずで、なお更、その生命の大切を痛感してるだろう。
その優しさは、至福なのだ。

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『音楽の父』が作曲「マタイ受難曲」♪を、現代はどう聴いたらいいのだろうか。
我が手元に、半世紀以上前の所はヨーロッパ、ナチス・ドイツの暗雲立ち込め、その軍靴が音を立てて近づく頃。
現地劇場で録音した「マタイ受難曲」♪があった。
そのCDの解説には、客席の聴衆のすすり泣く声も、入っている、という。
国民の血税を、軍備拡張に費やし、また国民を欺く宣伝放送を流し、差別と偏見から、悪魔の所業をもって殺戮と惨劇を繰り返し、顧みない輩どもが。
歴史の糸を手繰り寄せれば、イタリア、ルーマニアイラク、そしてつい最近のリビア
独裁者の末路、の映像がオーバーラップする。
オーバーラップは、続くのだろうか。
続けさせていいのだろうか。
その持てる「マタイ受難曲」♪で、すすり泣く声を、しっかり聴くのは、誰あろう。

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本年、クリスマスを待たず、メッキ独裁者が死んだ。
既存のそれらとは異なる、北東アジアに、前世紀後半から、今世紀初頭にかけて、自国民の餓死を省みず、かつその独自の思想に反する同胞を強制隔離、及びそれら困窮実情をば隠蔽遮断して、世襲制を見逃しえない権力欲偏向を顕著にした。
ある書物にある、報い。
自国民からの血税に当たるもの。もう、とっくにそんなものは使い切り、それでもなお、同胞からの搾取を止めようとはしなかった。
未だ、その国の数十万の民が、暗い獄中に自由を奪われ、今夜も厳寒に死の恐怖に不眠とある。
彼らを解放し、自由を享受、平和に歓喜する。
そんな彼らを見るまでは、続けられるべき事であろう。
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楽聖とくれば、皆口を揃える。そこまで知れた彼。
モーツァルトと、バッハを語れば、残るはベートーベンしか居ない。
それで、頭の中に彼が浮かんで、今度はその店のランチタイム、ミニコンサートで、彼が聴けたらいいなぁ、と想っていた。
それが、叶うのである。
再び、店内中央のテーブルの椅子に座る。背もたれが低い円形のアルミ製の椅子である。
テーブル上には、今日のミニコンのチラシは見当たらぬ。前回と同じ位置である。
メニューを開けていると、こげ茶色の三角巾を被った女子従業員が、本日の演奏者の名を告げた。同じ色のエプロンとのお揃いでのユニホーム、労働意欲をかきたてる。絵になるよ。
前回の彼女と同じ障がいの種類の、だけれど違う彼女である。座るこちらと、ちょうど目線が合う背丈。
もう、各ごと、チラシ配布はない、そのことを承知で、口頭で伝えてくれたのか。そのタイミングのよさに、驚いたのである。こちらの不可能だろう思い込みを、打破したのだ。
彼女の職務上の、しかし前もっての伝言は、心地よく当方の推理力と想像を刺激した。
狭い店内、中央に陣取った者は、左右隈なく見回して、誰が今日の演奏者で、黒のグランピ♪の椅子に座るのか、探した。
いちばん近いテーブルに、ひとり高齢の紳士が座る。頭の禿げ具合からするに、チガうだろう。
左奥カウンターそばのテーブルには帽子を被った中年の女がひとり。これもチガう。
すると、残るは、隣のテーブルの、小さな乳母車と、その児が椅子にある、若い母親。これも違う。
帽子を被った中年の女は、頭の禿げた高齢の紳士の、年の離れた妻か。だとすると、やはり、テーブル上に当方と同じ紅茶のカップがある、しかし他にランチ類が見当たらない、彼しか居ない。
その中年の女、つまり彼の妻は、夫の演奏に、車の送り迎えに来て、離れたテーブルから、それを観ているのだ。
いつの間にか、いつか聴いた調べが耳に入ってきた。曲名が思い出せぬうちに、高齢の紳士が黒いグランピ♪の前に立って挨拶してる。当方チラシ無しなので、曲目がわからぬ。
彼の口から、ベートーベンと、「月光」♪、は聞いた。
あの「月光」♪である。劇映画「月光の夏」の、それである。第一楽章。
その曲目を弾き終えて、彼が言った。音大でも60歳までは弾くな、と云われている、と。還暦という語彙も言われた。変わったこというプロだな。
それでも、60歳代にも見えない。続いて、「悲愴」♪の第二楽章。この調べもベートーベンだったのか。チャイコフスキーのそれには非ず。
後半が、また驚く。その彼が、なんと、オペラを歌唱した。あの、冬季五輪で日本女子フィギアに金メダルをもたらした、プッチーニの「誰も寝てはならぬ」♪。
テーブル上に見た携帯録音テープは、その曲なのだった。
終わり近く、もうアマチュアと自己紹介後であるからして、それなりに聴いてはいたが、それでも腹筋も使ったであろう声量と響きに、感動しました。
先日の女子プロにも劣らぬ情熱。音楽の力は、すごい。
防寒用ヘッドフォンをして退室された後、チラシを見ると、Ph.Dとあり、還暦近くピアノを始め、還暦でオペラ、数々の受賞。
ここは、当方の安らぎの磁場なんだろうか。

幸福感に浸り、余韻も楽しんでいたのだが、ピアノとこちらのテーブルの間のテーブルで、同じランチタイムの二組の母子。その母親のひとりと、先程の三角巾の呼び名を訊ねた際、牛丼、がなんで翻訳ライスボウルに呼称されるか、更に訊いた。
いわゆる、外国語の、直訳と意訳、の違い。
某業者が新大陸進出を果たした、もう昔々。確か、その国の人は、ライスボウルと答えていた。
丼はボウル、そこはわかるんだよ。だけど、どちらにも、実物をカウンターかテーブルに載せてからでないと、何がメインで、他が具なのか。比較的共通のタマネギ、これを甘醤油仕立てが、それに目にあざやか紅ショウガ。食べ合せの妙。
それでも、ライスボウルと呼称したところに、食文化の相違。主食は何で、添え物というか、副食はそれ。カロリー計算なんだろうか。

先項でも、ハンバーガー・ショップの記念サービスに触れたから、続きかも知れぬが。
『食い物のウラミはおそろしい』
今や、平成キッズは、大阪万博以来のケンタッキー・フライドチキンから、携帯片手のビーフバーガーまで、至極当然で過ごして来た。
『かあさんは夜鍋をして ケンタッキー・フライドチキンを揚げてくれた♪』
この変え詞が何の替え唄か、わかる者は昭和生まれです。

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先年、劇映画「月光の夏」で主演された男優が亡くなられた。
来月、一周忌が来る、1000年に一度の津波、の東日本大震災の、以降のことであった。今や中堅として、後輩の指導やら、時には悪役さえもこなして、芸域を拡げてほしかった、とおもう。
この映画の上映会には行ったし、爽やかに白いマフラー、が印象に残った。
その後、この舞台になった基地までも旅行したのだから、兵役や軍人より音楽やピアニストが天職であったろう、そのモデルを含めての当時若者らを、今では、重ねて、おもうしかない。
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新しいのに買い替えができぬので、ポンコツの、だがしかし12センチの大口径スピーカーがダブルの、その面がメッシュの携帯用ラジカセを置いて、聴いてる。
地デジ以降、FMしか聴けない。それでも、TVで大河ドラマの局だから、お昼の時間だったか、数々の名曲を流す。
ポンコツだから、ステレオにしても、ホコリやらで時々モノラル同様になる。
名前のようになった、ナット・キング・コールの「スマイル」♪を静かに聴いた。
この王様は、耳から癒してくれるのだ。その年齢まで達しないとわからぬ、という、そういう励ましも含めての、歌唱なのである。
「銀色の道」♪。ダーク・ダックスのハーモニーは、格別だ。品がある。白に黒で決めて、テレビのモノクロ画面時代から、カラーになろうが、こちらもグループ名のごとく、粋な着こなしで歌う。4人が徐々に歌い上げていくのは、気分がいい。こちらにも、励まされた。
その古い12センチ大口径スピーカーがダブルの、携帯用ラジカセを持って、教会に行った。
スピーカー面が黒い幾つもの穴がある、そのセンスも鼻高々に、会食の間、フローリングの上で、BGMを流していたっけ。
その代物で、買ったCDで「メサイア」♪を、聴いたものだ。
ヘンデルが『音楽の母』と言われる。
その愛機のメーカーも、親会社に合併後の、昨今外資系資本に移行した。
はやぶさ」ではないが、音楽エンジニアの魂が造った名機だ。
古典の名曲が、かくも、いたる所、持ち運び便利に、楽しめる時代を、ありがたい、とおもう。
十分、その役目を果たした。
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先日、某市内の繁華街で、パルコの一階に「島村楽器」を見つけた。
ガラスで店内の展示楽器類も、訪問者がそれらに触れてる光景も、外から一目瞭然、という訳だ。
勿論、屋上まで見上げてないので、高層ビルだろう高さは目視記憶をパスした訳だが。
見通せるガラス部分も、一階だからか、上部階の重量を支える意味で、壁とガラス部が交互にあるが、見通せる部分の方が広い。
先の、大震災以降、建物を視る眼も変わったようだ。
この市もある某県は、内陸部にある鉄道駅の東西南北に立つ超高層ビル棟の都市計画と、臨海部に林立する居住用高層ビル群の新都市と、比較するのも、未来への展望です。
素泊まりの食事無しのホテルから、早朝窓を開けて、海方向に見れば、十階程のマンションから、中ほどの階の一室に小さな灯が点り、階段を駆け下り出勤する人の姿も見える。間の道路には左右へ、タンクローリーも含め、通勤用乗用車やら、自動二輪車とか、ミニバイクすら急ぎ走る。
それらは、オモチャじゃない。生活してる人間なんだ。働きに出る人たちです。なんか、こっちも、という感じ。
雨だから連泊、も断られた『貧爺ライダー』は、昨日も寄った、何でこんなとこヤオコー、に寄って、コーナーにある無料茶と電子レンジで、半額の冷凍パスタ2品を温め、目的地に、警察署で地図見せてもらって、濡れネズミで行く。
たとえ平屋でも、団地住民の食供給。隣の新築高層は、壁の垂れ幕に、そこまで一分を表示して、なお集客。もう、循環が始まって、活動してるのだ。新都市建設の途上なのだ。

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パソコンで、『初音ミク』の生誕地のクイズ、誤答。札幌とは知らなんだ。
ソフト料金で、購入可。
YMOのごとき、と思いしが、ボーカルが元になってるらしい。
このまま、ストレスためるよりか、試して、譜面にした分だけでも、遅ればせながら、ミント色の長髪の美少女に歌唱させてもらおうか。
初音ミク』、を使わない手はないぞな、もし。

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巡音ルカ』、は日英バイリンガルという触れ込みではある。
詞がそうならば、『巡音ルカ』がより良い選択は、言わずもがな。
怒髪天を突く、の詞は、『巡音ルカ』向きのようだ。

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桜が満開の日、ある会合で、世界特許であるディスク・オルゴール♪で「となりのトトロ」♪を聴く機会を得た。
他に、シリンダーや、スピーカーの、オルゴールが展示され、その製作者自ら、著作権がらみで、ディスクにする版権が限られていると、可能なった数ある名曲を、演奏及び解説された。
その当人の名に、気になったので、終了後もしやと尋ねると、驚いた。義務教育時通った塾の講師の方だったのである。
思わぬ再会である。眼鏡の奥の眼と、眼が合った。もう童心になられたのだろう、数え切れない教え子のひとり、に笑顔で答えてくれた。
かっては、自宅への帰路、すれ違っても、頭を下げると、同様にしてくれたが。その方と、正面から語り合えるなんて。
少年に帰って、はしゃいでいるばかり、ではあった。
伝統工芸の匠とコラボした、音叉の残響を駆使したのであろう、親ガメ・子ガメ・孫ガメ型の三段階富士山形の、シリンダー内蔵長方形箱型の作品は、茶色の木目もある、着せ替えも利く、大きさがごく普通のタイプ仕様。
購入したくなる程の出来栄えだ。癒されるだろうな。
同時展示で、19世紀末にヨーロッパで販売された卓上中型の、箱内逆方向に二機設置のダブル。ディスクタイプは、その当時より普及していた。しかし、購入者は限られていたでしょうね。メーカーごとの曲数だから、尚の事。王侯貴族で、庶民感覚は程遠い。
となりのトトロ」♪という国産アニソンをディスク・オルゴール♪国産世界特許で聴けるとは。こんな確率は、ないぞ。
ディスクを立てに設置した観音開きの中型ボックス、室内スピーカー等との接線はなく、電源も見ない。
しかも、その製作所有者と話ができて、それがかっての塾教師、その人だったんだから。
年代の違いを越えて、会話してくださった。
純国産オリジナル音楽の演奏で楽しみ、半世紀を経ての再会で喜び、その童心の笑顔まで返してくれて嬉しく、まさにトリプルではありました。 
帰途の、バス通りにも満開の桜。
この日ばかりは、祈りの際の方にも、そしてもうひとりの方にも、感謝せずにはいられませんでした。
そう、この日は、本年のイースターであり、かつお釈迦様の誕生日でもありました。
皆さん、半世紀生きると、こんなご褒美もあるんですよ。
『口惜しかったら、生きてみな』

この出会いを用意くださった方々に、感謝。
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「御門訴事件」という史劇を観てきた。
その自治体が擁する大ホールでの上演である。
ここにも、当時の圧政に抗して、生命を捧げた農民たちが居た。
時は明治維新、直後。品川縣という呼称にもおどろいたが、維新後もこのような事件があったとは。
いわゆる門訴とは、知事等の官舎門前にて直訴するもので、当時の三段階では、もっとも穏健な抗議の仕方ではあった。
これに、農民の代表らが、行動した。
門を挟んでの問答の末、為政者側に死者が出て、農民側の代表らを、門内に引きずり込んで、もって法律違反として狼藉者逮捕、拷問にて、病気併発、牢死という筋書き、である。
その時の抗議の農民側の十二ヶ村の名主のひとり、井口忠左衛門が、この史劇の主人公である。
入場無料、ということで、やや早目に到着したのが、よかった。開場で、手渡されたのが、「井口忠左衛門と御門訴事件」という本。箱入りのハードカバー。いわば愛蔵版。
生のお芝居は、ここんとこ記憶にないので、その興奮もあったのだろう、めずらしく徹夜でその本を読んだ。
史実は、八人の死者に及ぶ。農民側に、である。
その中の数人は、名に、衛門とか、ある。
そして、門訴、である。
厳粛かつ悲劇的な事件に、決して遊んでいる訳ではない。まともな抗議をして、なおそれがそういう結末になったのは、圧政及び拷問であって。
彼らを駆り立てたのは、門訴という方法があって、その範囲内での行為であって、安全に帰村、が前提。それを破って不帰にしたのは、どっち側だ、という事件ではある。
その現場まで誘因に、同字と韻踏、はないのか。
こんな、論外の解釈に、戸惑わせただろうか。
最近の似たような、事件での連想に、
園芸学部の女子学生殺害事件、『ユーカリが丘の友花里さん』。
彼女がその学部を受験したのは、近くにすでに、そういう地名があったからで、合格後、一度はその場所を訪ねたのではなかったか。
アブないな。許容範囲だとは、おもうんだけど。
許容範囲とは、それも、これも、ここに留めた、ということである。

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本年、その地域開発、山万ユーカリが丘線は30周年である。
免震タワーマンションを販売する。

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昔、ある街道を通行、洋菓子店を見つけ、立ち寄った。定番のスイーツに、他に「知らぬが半兵衛」という、今ではそれが和菓子かどうかも忘れたのだが。
で、今回、手土産に貰った本に、なんと、半兵衛さん、出てくる。
抗議した十二ヶ村。そして、脱落というか、参加せずにいた、その村の名主というか頭が半兵衛さん。為政者側との仲買や卸業みたいで、参加しずらかったのだろう。
十二ヶ村やら、十三ヶ村やら、其の辺も、自称クリスチャンは引っかかる。
圧政を強いた品川縣知事というも、佐賀県出身だから、薩長に挟まれた云わば官軍だから、富士山爆発噴火の関東ローム層で、その土地柄で何が収穫できるか、それさえも調べなくて、備えの為に供出せよと、制度をこさえても、作物をどうする、例えば九十九里の干し鰯など肥料の値上がり、という農民を理解せず。
その富士山爆発噴火が、余震列島、学会やら、地域連絡会やら、話題になってきている。

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二時間弱の舞台は、始めに、右手(上とか、下とか忘れた)前に石碑が在り、子供達がそれに腰掛けている。それをたしなめるように、忠左衛門の子孫の方が登場。子供達はどうやら、東日本大震災の福島からの疎開らしい。
この導入部は、わかりやすい。劇場は、非日常の空間だから、歌舞伎や狂言の時代物ならいざ知らず、震災後の復興で歩き出す、それを励ます意図ならば、明快な筋立ての脚本だ。
土地の古老が、よそ者だが、止むなき事情で移転中の子供達に、石碑の在る、郷土史を語る。
背景は極めて簡素で、直訴の門前の左右の塀、その場面以外は、中央扉部を外して、行き来させている。
群衆劇なので、為政者側とデモする農民側の対比が、各シーンごと、はっきりすることなのだろう。
主人公が牢死するシーンも、彼ひとりを中央に座らせ、格子を照明で浮き上がらせ、効果ある。
別シーン、奥壁面右上の月も大きく、残った。
ラスト、忠左衛門夫婦を、始め右手に現出した石碑と同じ、その後方の塀の上に立たせ、村民達を下前面に並ばせる。
舞台ならではの時間経過。そこまで、たどり着いた感情は、極まる。

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舞台上での、直後のインタビュー。主演の俳優が、一回切り、の不満を答えていた。
そうだろう。あと数回は上演したいよな。
ネットで探したら、稽古は一週間。驚いた。
脚本と演出は同一人。プロからアマまで、剣劇集団までも加えて。子役たちも、農民の子供役を掛け持ち。
それにしても、と更に調べたら、同じ所属事務所らしい。やっと合点。若い集中力は、スピード。二人共、三十代の新進だ。
彼らは、ブログを持ち回りで、書いてる。
もう、時代は、そんななのだ。

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そう言えば、十代後半の学生時代、竣工後の新校舎の校庭隅で、どうしてか、同窓の女子生徒と二人きり。名字は、忠左衛門さんと同じだったなぁ。その子かどうか知らんが、後年、演劇界の某三兄弟、のひとりと、どうしたとか。
日本は狭いんだ。海外は、諦めたが。
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ここの、注目キーワードに、ザ・ピーナッツ、とあったので、何で今頃、と展開すると、
恋のバカンス」♪の、姉さんの方が、逝った。「ふりむかないで」♪は、ドーナッツ盤持ってたから、和製ポップス、の双子姉妹で、その高音と低音、というか、両耳で聴き分ける、実地を教わった感覚、と思う。
元マネージャーの方が言われるごとく、表現力がすばらしく、「東京砂漠」♪のヴォーカル歌手が言われるごとく、年齢差からして、彼のその形容も、頷ける。
あの当時、粉末「渡辺のジュースの素」は5円、でコップ一杯、の糖分らしき補給。それに続いて、「渡辺プロ」の売り出した新進歌手が、音楽性豊かな、見た目も可愛い驚くシンメトリーなんだから。売れる要素十分。そして、実際循環した。視覚も、そして聴覚も、観客はテレビでプロを見た。
恋のフーガ」♪もいい。外国でも売れる、とおもったし、そうなった。
ヴォーカル歌手と同年代の男は、同業でなくとも、皆同じ思慕じゃないか。あの引き際といい。
ハナ肇さんが入院中に、見舞いにいった際、共演テレビ番組での恒例コント、『いつも、すまないねぇ』に、『おとっつあん、それは言わない約束でしょ』があったとか。その親娘シーン覚えてるんで、名台詞と共に、掛け合いの呼吸というか、芸能畑の感性を、受け止めました。

これで、戦後日本女声歌謡史は、
美空ひばり島倉千代子、そして「ザ・ピーナッツ♫」となる。
ひばりさん、と千代子さんの間に、江利チエミさんも入るか。その不運と、借財返済の件勘案すれば。
時代背景やら周辺をも知ると、彼女たちの努力は、超人的ですよ。浮き沈みの激しい芸能界で。

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FM放送の午後の番組で、江利チエミ特集を聴いた。少女時代の米軍キャンプで度胸をつけて、「テネシーワルツ」♪で売り出す。「スワニー」♪の方のが彼女に合ってる。
日本民謡が聴いてて、いい。「さのさ」♪は高島田姿のを思い出した。
「新妻に捧げる歌」♪は、素直な歌いっぷりだ。
映画「サザエさん」主演は、陽気な彼女の性格を立証した。その内の一作以上かを監督した方から、講義を受けた。成績は何故かよい点だったので、先日原作者の墓参も済ませた。
陽気な性格は芸能界向きであっても、予期せぬ不慮の事故で、新居が焼けてしまっては、かなわない。留守宅の漏電だったという。
高倉健さんは、一度道路ですれ違った。ルター神学校の外塀があり、自転車通学の途上。
この学校の校庭は樹齢数十年の桜樹の並木路があり、教会堂は、外道路側の窓ガラスはなぜか上から下まで全て黒ペンキかコールタールで塗りつぶされ、おそらく礼拝や儀式を世間の目から隠す為だったろう。反対側はそうでなかったろう、校庭内側は。
現在は、ICU、東京神学大学、と共に隣接地に移転してある。
このキリスト教御三家の隣、中近東文化センターがあり、館内には、クレオパトラ銀貨やカエサル金貨の歴史的展示物もある。
話がそれた。番組の終わりは、持ち歌オリジナル曲数曲なのだか、ひばりの「悲しい酒」♪のように、晩年の境遇を知ると、似た者同志の感がする。

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主日である。
「被せキムチは 旧世紀ハシカ 6.22前で断」
「新世紀 オニになっても キムチは外」
天安門 正体看破る 現阿Q」
「被せキムチは 北京広東 四川も不要」  豆人

6月22日、この国の現厚生労働大臣が、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律施行日で、「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」、その差別隔離政策の至らなさに、謝辞を述べた。
その数2万4千人以上、という。
神谷美恵子さんの詩も、読んだ。医師として診察、患者あればこその、医療従事者の良心の自由を、とつとつと述懐して綴っている。
6月23日、摩文仁の丘の平和の礎に、更に刻字された。
6月24日は主日である。
魯迅は、祖国のために、医学から文学に志を変更しても、「阿Q正伝」を書き上げ、後世に託した。
あの天安門、血の流血事件は、その生々しい惨状は、ネットでも流され、世界中の人々の知るところとなった。
数千年の歴史、とその各地の食文化。
北京にしろ、広東にしろ、そして四川にしろ、例えば、一党独裁による頑迷、停滞に、地下で抵抗する組織が、その現代の阿Qたちが、携帯電話もある時代、異国の{被せキムチ}など、同様だと見破れるはずである。
空海さんの、讃岐うどんでさえ、異国の{被せキムチ}など、かぼすと千切ネギのさっぱり醤油薄味で、不要だろう。

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ジャポニカ米というは、日本人のオリジナルと捉えてよい。品種改良は、原日本人から、今も改良は、あるだろう。北海道での米作の収穫量の拡大も、開拓者たちの末裔も含めて、そこに移住した列島人の忍耐と労苦の成果である。占領は偏向なる解釈で、渡来人が列島人に同化したのであり、皇室の系譜に、何の疑事があろうか。米作りは、「伝わった」でよい。
台風や地震に強い米は、そこに2000年住んだ原日本人が培い育てた品種だ。田んぼに苗植えてな。
加工キムチとは違う。キムチ風邪吹かせるんでねぇ。

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山桜 海冥に沈むも 山桜  母背のケロイド 海涙をもってす    豆人

液晶大画面のテレビで、伊52という名称の潜水艦の、番組を視た。
正確にいうと、それに積載されたであろう戦時下の金塊の行方、の追跡調査のドキュメンタリーである。
財宝探しの海洋冒険物の始まりが、一攫千金を夢見て、かっての大日本帝国海軍大型潜水艦の沈没地点の海底をば、特定するまでの、かなりの金額を浪費しての、それでもの期間である。
金の延棒の山は、どうも錫だったらしい。
沈没地点は、なんと大西洋。
たかが錫の如何ばかりかを積んで、任務とはいえ、日本から、東シナ海どころか、インド洋をも横断、地球を半周して、それもほとんど海中をば潜りっぱなしで、爆雷攻撃に怯え回避しながら、よくもまぁ、数百名が空気の換気もままならぬ艦艇内に、捕捉に追われながら、大海原を迷走し、当時同盟国の港湾までたどり着こう、苦闘敢闘したものだ。
そして、力尽きて、被弾して水中爆発、光届かぬ底知れぬ大海原に、音もなく吸い込まれて沈んでいくのである。
将兵たちよ。
当時の軍部命令系統が、敗戦末期に及んで、何故かくも無謀極まりない作戦をば、出したのだ。
金塊載せてる虚偽情報を流したかどうか知らんが、敵戦力分散にも該当しない、囮作戦だとしたら、極秘の任務は、ただの死地を海底に。何をか言わんや、です。
バライティ番組中ではあったが、この財宝探しのチームのボスが、当時敵国の、同国人とはいえ、沈没地点洋上の船上甲板にて、慰霊の祈りの場面も放映していたので、それで安堵した。
そのチームの赤字費用も、放送テレビ局が部分補填しただろうから。

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美人は、見飽きるものだ。そりゃ、「ミス何とか」は、数あった方が、それに選ばれた本人も、努力するから、「然り、然り」なんだけど。 つまり、努力する美徳が、要点だろう。化粧する、服装を整える。謙虚なる物腰、気配り。それらに気付かないようでは、未だ未だ。(続)
故に、自然の中で、お仕事する職業に就いた人は、自然そのものが美しい、がよく解るから、祝福されている、と思う。 「智恵子抄」で、彼女は、大気汚染の都市の到来を、まるで予言したようだ。 しかし、天変地異が、襲うと、自然を、ただ美しい、としか言い得ない、都会人の軽薄を疑う。