かいふう

近未来への展望や、如何に。

「長崎の鐘」の遺児筒井茅乃さん、肝臓がんで死去。

筒井茅乃さん(つつい・かやの=故永井隆博士の二女)2日、肝臓がんで死去。66歳。

告別式は5日午前11時30分、大阪府枚方市岡南町3の1カトリック枚方教会。喪主は長女、和子さん。

長崎で被爆しながら、医師として被爆者の救護活動にあたり、「長崎の鐘」などを著した永井博士(1908〜51年)の遺児として講演活動を行っていた。(読売)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
JWordから、Wikipediaに記載の「永井隆」で調べると、
長崎被爆前に、すでに職業病ともいうべき白血病に罹っていたこと、医師宣告余命3年を更に生きたことが、今わかった。
その項目のひとつに、==議論==とある。それを読むと、
被爆した博士が、その事について、肯定的という一般論を通り越してのある発言に、加筆意見を某人が載せているのだ。そこでも触れているように、敬虔なカトリック教徒であった彼は、およそその信仰外の者からすれば、不可解なある発言と解釈してしまう、博士の発言ではある。
しかし、同じクリスチャンという勝手な解釈もするなら、ひとつ合点がいく共通因子が見つかる。
それは、言わない。見つけた方もいるかも知れない。だが、その答えが同一とは、決められない。
しかし共通因子というキーワードを述べているのだから、もう自分の答えは言ったも同然。

                                                                                                          • -

博士のその発言と、
たとえば、『靖国で会おう』と言った将兵の発言。それが、建前だろうが、本音は奈辺にあろうが、共通は、遺族になる家族をおもんばかってのそれならば、そうなんだろう。
否、否。自分は、カトリック教徒でもなれけば、本音で『靖国で会おう』という信徒でもない。
被爆者での死もなければ、南海の孤島でマラリアに罹患して飢餓の戦病死者でもない。

                                                                                                          • -

ひとつ残っていた。同じ被爆地で、同じ医学者で、しかし若い医師が、恩師が次々担ぎ込まれる被爆者たちの群れに、ひたすら、医療器具も治療薬も無い中奮闘する、その様を目の当たりにしながらも、何故後日自死を取ったのか。
生命の最前線にいる医者たる者が、患者を、被爆者を救わず、医療行為を放棄してまで、死に急いだのか。
専攻したがゆえ、志したがゆえ、その悲惨と、何年続くかわからぬお粗末な治療と呼べぬ治療。奈落に突き落とされたんだ。

                                                                                                            • -

かって訪ねし「如己堂」、そこで暮らせし子どもたちも、被爆時は疎開していたという。だから、遺児茅乃さんが死因が、父と暮らした年月と場所にかかわりがあるか、わからない。
しかし、許していただこう。医学的にみることは、放射能の後遺症という、専門家のみ任せではならない市民感覚の、健康を問う日常茶飯事、との対比だろうから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なぜか、マリー・キュリーを思い出した。
それは、彼女が2度のノーベル賞受賞ということでなく、もしかしたら彼女もカトリックということでなく、実に、同じ道の研究者として、放射能の影響に身体を蝕われつつも、残した業績やあるいは後進の教育に、その果たした貢献と美徳に、重なるものを見たからであろう。