かいふう

近未来への展望や、如何に。

「そんな事で。」の使われ方。例えば、と。譬えれば、との相違。

イエス


先年、とあるJRのターミナル駅ビルに在る交番に、忘れ物を見つけに近辺にある国営公園に出向く早朝、立ち寄った。さすが、『タマも乗れる多摩モノレール』とは云わなんだ。猫を飼ってない。
東西要衝の乗降客を誇る地域の拠点なれば。些細なことで、尋ねるな。三人の巡査が勤務中。よそ者の質問に、三者三様の返答。その中に、「そんな事で。」があった。
先日のニュース。ローマ法王が、長崎被爆当時の坊主頭の少年が背負ってる幼児、を弟と。その写真は、死亡せる背中の身内を、火葬場で順番待ちの直立不動のその少年が唇嚙んで血が滲んでる。そのモノクロ。
ローマ法王が彼は、弟と認識してる、訳です。その写真をしかも。数年前から、反核キャンペーンで、世界中に配信してる、訳です。カトリック布教の一環として。その写真をも、流布する、訳です。
それで、プロテスタントの端くれの者のひとりが、異議を唱えて、プロテストした訳です。その幼児は幼女です、と。昔むかしのTVドラマ「ベン・ケーシー」の、男女の別マーク。
被造物のひとつ、男女の別を。翻訳して、いいのでしょうか。カトリック布教の歴史の数千年。その巨大組織のヒエラルキー。写真が、法王の手に届くまでに。幾人が介在するか。プロテスタントは知らぬ。
その写真の主人公たる、その少年と背中の死亡せる幼女。彼らがカトリック式で埋葬された、その事実は知り得ません。【被爆地】長崎は、浦上天主堂。天主堂はカトリック。その連想があるだけです。
つまり、カトリック布教の為の、その写真の流布。
ですから、ここで問題にしてるは、流布される写真の真実です。その幼児が幼女ならば。弟でない、ならば。生来の性を、翻訳してはならぬ、のです。
この事は、そんな事、でしょうか。