かいふう

近未来への展望や、如何に。

長崎で撮影「焼き場に立つ少年」。その背負われた幼児、の件。

イエス

ローマ法王フランシスコが印刷して広めるよう指示した「焼き場に立つ少年」の写真(バチカン提供・共同)』(産経)
このニュースを写真掲載で読んで。あれっ、と思ったのは、私一人だろうか。以前数度視た限りでは、背負われたは幼女、であって。その少年が亡くしたのは妹、のはずである。
それが、弟で報道されてある。この【誤謬】は、取るに足らぬ真実なのであろうか。誰が見誤ったのか。視間違えたのか。
カトリック教徒部外者の、それも端くれの、『神の愚かさは、云々』マニアの、微細な、それこそプロテスト、プロテスタント
こういう場合こそ、カトリックがウィットなら、プロテスタントはユーモアよ。だからこそ、「新共同訳」のエポック・メーキングが出来たんでしょうが。
しかし、もの言わぬ70年前のその幼児は、そのどちらかは言えぬ。その真実を問うてはなりませぬか。
何故なら、この国には、古来より。3月3日と、5月5日と、それぞれのお祝いをしたのです。今では、国民の祝日はそのうち一つ、となりましたが。
ならば、私は誰に抗議してるのでしょうか。その子は、非【被爆者】として生まれ、この国で、【被爆者】として死んだのですから。