かいふう

近未来への展望や、如何に。

あるある説得

その【被爆地】の写真は、ならば「踏み絵」か。

背負った幼児は、撮った方経由か。妹と思い込んでいた。その日実際当人と会って会話された方がご健在で、取材を受けられてる。すると、証言として。その時見たであろう目撃の彼の発言が、弟なら。お詫び訂正したい。

私の記憶。おかっぱ頭のきっちり整髪された黒い髪は、どう見ても。女児にしか見えない。それで、撮影された外国の方もそう言ってた、コメントも併せて読んだ記憶があったので。それで、締まった。

それを、背負われたは男児として、世界中に、信者に、配信するを。出したは、彼の彼である。【原爆】の惨禍を。【被爆者】の慰霊を。忘れぬように、と。

しかし、今回。ご健在の目撃者が証言と。それに掲載の写真。

凝視するに。おかっぱ頭ではない。あれっ、改ざん⁉

彼の彼が発言。すでに世界中に、信者に、配信されたを。今更、『間違えた』は無い。

それで、写真の方を、修正して。併せて、ご健在の目撃証言をも載せた。と、私は思ってしまった、のである。ノン・カトリックだからか。

いや、写真は、真実しか撮らない。カメラは、機器である。撮る人が、善悪は問わない。否。

その例は、アウシュヴィッツ等の囚人が、縞模様の囚人服で、数センチ四方のモノクロに。【ナチズム】側から撮られても。被写体の真実、彼らのその後の生死。その責任など知るものか。

自由を蹂躙、略奪した側の論理。そんなものは、とっくの昔に【悪魔】に売り渡し。その手下で撮っている。【悪】が撮っても。虐げられた被害者、機械のカメラは、被写体の真実を、残す。

哀しいかな。我われの目線は、【悪】側でしか、見れない。

それで、被写体の真実に。それをみつめて、読み解こうと

話題をそらしたは、ノン・カトリックの者である。

この新なニュースは、幼児を背負った少年。彼の誰か、を探す為のそれである

兄たる少年が背負った幼児は、男か女か。その別を。

然らば、ポープと同様に答えよ。と、カトリック信者のみに迫る、ものでもあるまい。

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もうひとつ、想像してしまう。

それを口外すると。【死神】に売り渡したか、と尋問されるかもしれない。

背負った肉親に、助けようとした本人に。問う権利が、おそらく見つからない。