「そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。」
ヨハネの黙示録第六章8
コロナウイルス感染の発生源は、何処なのか。
これにつきる。
コウモリなのか。それを食する客もいるとか。
ゲテモノ喰いは、本人だけにしてほしい。
無神論の国に、[聖書]の箇所を抜粋して。どうのこうの言っても。
信者故、それに該当するから。それらしいから、云々。
しかし、我われから見れば。それに想像するから。批判指摘する訳でして。
これ、[聖書]を、無神論者に翻訳してもらっても。おそらく、我われが望む正解は得られそうにない。
だから。全世界に感染拡大され。死者が多数。皆が不安と恐怖で慄いている。
この惨状は、決して平和でも無いし。逆行してる。人類の【厄難】なんだ。
と、声高に。叫んで、抗議しないと。
医学的見地。医療従事者の敢闘、疲弊。そして感染、死。
それらの日常的累積と、憤懣やるかたなしの埋没への感覚麻痺では。開けない。
もう、抗戦中。
とにかく。長期戦なら、ゆるくいこう。素人は、高齢者は。
アーメン
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過日。黒い礼服の、司祭とおぼしき彼を、自宅極附近で、すれ違った件。
その理由が、ようやくわかった。
彼が来たは、私が何者。それを肉眼で観察、認識する為だろう。
然らば。誰が、彼を呼んだか。その理由は?
信者に決まっている。それも、ひとりの信徒が要請で、彼女の居住地まで赴き。
そのクレームの回答を提示、もしくは信者を守護しなければならない。
ちょうど、某自動車メーカーのお家騒動の顛末やら。その彼の、事件がダブっていたので。私の意識は、その辺に在りしが。
しかし、それがらみ、では無くして。
女子信徒の要請。それが、正解である。
あれは、ローマ教皇(以降の呼称)が来日イベントの前。
私を見て。彼は、すれ違いに「こんにちわ」と言った。私はといえば、無言ですれ違った。私が、彼の来た理由、その対象人物とは、思わなんだ。
後日。彼女の、若い身内の人に、「こんにちわ」と回答した。
これ以上は、大人の分別である。ノン・カトリックの目に見えぬ境界線であろう。
そうまでしての、彼の出現に。自問自答せぬかわりに、彼らのプライバシーにも、触れない。
いやあ、生粋のカトリック信徒というか。筋金入りの働き盛りの司祭さんというか。
いい意味でのショック。と取らなければ。大人の分別、に帰着しないではないか。
まあ、ローマ教皇来日記念。その前衛の件、という処か。
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関東圏は、四谷に在るミッションが。その附属の社会福祉専門学校が募集停止。そのニュースは既知だし。障がい者も含めて。少子高齢化の我が国に、どれ程の貢献を為すか。私は、期待しない。
ペテロの三度の件、なるものは。サン・ピエトロ広場を擁するローマン・カトリックが、『本家』と例えられ様とも。
対象が、クリスチャンであっても。(他)人の事をおもってはならぬ、のだから。
その果てが、彼らの殉教ならば。私の預かり知らぬ領分です。
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彼女の件も。「確率論者 」のプロテスタントから観た、スタンスです。
彼女を、特別扱い。もしくはそのように扱わなければならないカトリシズムの意向。教会の理由がある訳で。
それを、ひょんなことから。垣間見た、だけの話です。
ここは、ひとつ。狐狸庵こと遠藤周作。彼の、カトリック作家としての、典型的言葉。
「キリストを信じても、クリスチャンは信じるな。」
如何にも、サン・ピエトロ広場を想像する、ユーモアある至言ですね。