祈り+経験は、体験に非ず。
先ず。何を連想されますか。
その人が生まれし、時代を想う。年代も、あるでしょう。
先日、ローマ教皇が、アウシュビッツかビルケナウだかの。前世紀の遺物。強制収容所跡を訪問されました。もっとも、彼も。南米はアルゼンチン出身の、初めての。しかも、法王とも呼称されし、それを廃止後。教皇が訪ねるも、初でした。
「ホロコースト」
おぞましくもあり、忌まわしい。偏見と極悪の、露見であり発覚です。
気の遠くなる程の、大量殺戮。桁外れの死臭です。ブルトーザーが押し落とすは、マネキン化した腐乱。
犠牲者、と呼ばれます。誰が、取って代わると、申し出ましょうか。
しばし、マヒして。それ以上の年月を飛翔しないと。信じられないのです。
何時、何処で、誰が間違えたのか。ここから出発しても。受験科目で、世界史は選べますよ。或る日、天使があなたに囁きましたか。もう、それさえお忘れですか。
戦争を知らぬ少年たちは、それ故。がむしゃらに、どん欲になってさえ。知識を追っかけたのです。学ぶ、平和に在る。その、事の軽さ。それが実は、無数の無名の犠牲者。彼らの、いわれなき罪への疑問。それが生じたのですね。
たったひとりの個人が。ならば、何処まで、何人の。何十人の、何百人の彼らを背負えましょうか。試しましたか。
昨日、西の野原で花持つ少女を弔い。明日、東へ駆けて行き、未だ温もりある小父さんを亡骸に抱きますか。
愛するはずが。以前にそれを失って途方に暮れる。そんな芝居じみた空転の日々。
ただ生きるだけでよかったのに。
戦争が。それを台無しにするんですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
部外者として。見るなら。カトリックの「ファティマ第三の秘密」は、未完未済らしい。何故、カトリックを云うかと、言うと。数千年の歴史、否。教会史がある、と彼らが言うからですよ。その殉教者は、書物や、音楽や、絵画や、彫像や、建築そして写真と劇映画等で、後世に伝えられ。次世代の若者たちが、出会い。或る者は自己のタレントもあって。また平和に生かされて。
再掲させてください。譬えさせてください。あえて、彼らが分けたのですから。
呼称をば、ならばローマ法王ヨハネ・パウロ二世。対ナチスでパルチザン、眼の大きな彼のモノクロ写真。その集会後、彼は幸運にも延命し。後、サンピエトロ広場で、謁見に臨むのでした。
同時代を、ある時間共有せし者のひとり、として。あの絶望と苛酷な戦時下。それを生き抜けた彼を。地球と、ハレー彗星に譬えた訳です。訳とは、十八番、簡単に云えば、イズムを翻訳した訳です。プロテスタントで、居る。そうして、実存してる。
どちらが、どっちなの。時間がありません。だって、例えたら。それを使ったら、科学の領域でしょうよ。誰でも。平和な、時代が続けば。齢70年以上生きれば。1度は、その彗星の光跡を見るやもしれません。それさえ、確認の1例に過ぎません。
70年を分母に、たった1日の。その平和だけを望む者がいるでしょうか。その流れ行く星に、地球外生物。私は、未だ知りません。「ニュートンさん、ありがとう。」
それで。ならばローマ法王ヨハネ・パウロ二世。あれっ、彼は、歴代法王が怖れ慄いた、その秘密に最終決着を着けるべく。スーパーマンではないですが。日夜闘い祈り。そして、あの日。預言の成就。それを、その厄難を我が身に受けて。瀕死の闇を。全世界の信徒の熱心な祈りを聴きつつ、栄光に包まれて、回復へ至ったのでは。
後日、犯人と直接面談し、主のみ旨、許されたのでしょう。
彼は召される日。世界大戦以前からの、その秘密。それを、それと相殺し、消滅させた。その使命を自己確認した。その安堵と信仰に、永眠された。
と、部外者たる者のひとり。プロテスタントの信者のひとりとして、想った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後の法王。彼への喪中の期間、知りませんが。
バチカンは、公言しました。後日。未だ、その秘密は、解かれてない旨。
それは信仰。それが、信仰。それも信仰?
カトリックの、その神は。再度、信徒たちを、試みて、よろしいのでしょうか。
神だから、許されるのですか。『リセット、リニューアル。』
欧州戦線、否定できません。戦死者戦傷者の数、数え切れません。
途中から、祈りたくもなります。儀式を経れば。その教会風に、以降祈りますよ。
全ては、バチカン市国の、最高会議。そこで、決議された事であるからして。
そうでしたね。最初から、それは、カトリック圏内、領域での事でした。聖人に列せられたが故、その信徒彼らの中に、生きているんです。
部外者は、それを。「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世サンピエトロ広場暗殺未遂事件」として。記憶するのでしょう。
無関心はならぬ。このフレーズで、事足れり、と結論しましょう。
かつ、部外者故。その煩雑から、解放される、と。
アーメン
---------------------------------------------------------------------------------
付け加えさせてください。
自己決定で、被爆地へ行きました。自由意志で、複数へ足を運びました。
落とされたが、単数。ならば、私は、その場所のみしか、行きません。
調べたら、二カ所あったが故。そうしたまでです。
「然り、然り。」クリスチャンの基本に従ったまでです。その平和と自由が、周辺に在ったが、答えです。
列島が祖国、島国が母国の者とすれば。口外しようと、せずとも。
その、二カ所の歴史的事実。その落とされた爆弾の種類。
それが、この国の、それ以降の、歴史の紛れもない出発点。
それに、二日二晩。苦悶にのたうち回ったからとて。死ぬ訳ではありません。
顔にも、首にも、そして背中にもケロイドが付く訳でもありません。
三日目に、未だ棄教せぬ我が居れば。それで事足れり。
アーメン