かいふう

近未来への展望や、如何に。

腹が減っては、キーボードも押せない。消去法でいくクリスチャン.その1

日の丸


謹賀新年  お正月のお餅食べる理由。私の場合、こんがり焼いたモチ食べて。昨日までの去年の『嫉妬』(ヤキモチ)を、食い気に転化。満腹、ヤル気を持って。行きましょう、ですか。
初っ端から、クリスチャンですから。思うままに。
「更新と存続」、ノンカトリックから。例の、「ファティマ第三の秘密」の件。私が最も身近に感じた法王、ヨハネ・パウロ二世。彼自身は、彼こそが、その最たる懸案の厄難をその身に引き受けて。瀕死の状況から、数多くの世界中の信徒の祈りに支えられて。奇跡の回復、快癒を得た。それのみならず、汝の敵を愛せよ。まさに、そのイスラム過激派の犯人に直に会い、証を全世界に示した。
その彼が召される時。彼は思い信じたでしょうに。「私が長年のそれを我が身も持って対決、消滅させた」と。子羊たちも、迷える子羊も。以降、より容易く生き、信者も増すであろう、と。その自負と信仰で、逝った。
しかしながら。最近、巷で聴くは、未だ「ファティマ第三の秘密」は終わってない。ローマンカトリック自体が、そういう声明を出した。未来に、未だ立ちはだかってる。厄難は、これからも来る。
私個人、付いていけないな。謂わば、「ファティマ第三の秘密」の、更新です。ヨハネ・パウロ二世の受難と死。その犠牲は、然らば。何だったんですか。
端くれの爺さんの、それも初代クリスチャンからすれば。まるで、親子三代、クリスチャン続けてこそ、カトリックです。と、云わんばかり。
それでも。二代目であろうと。三代目であろうと。初代であって、入信しようと。それは、その人の出会いであり、本人の領分でしょうから。