かいふう

近未来への展望や、如何に。

あるある説得

それは、こういう話が、判りやすい。二人の者が、ヱマオの途上で、前方に家屋を見つけた。彼らは、共に、[共同訳]を携えていた。片方の者が、前方に近着いてくるその家屋を指して。「KOBAN」と言った。もうひとりの者は、「交番」と返した。

エルサレムは何処かを、そこに居た警官に尋ねて。その警官は、勤める建物、その呼称について。どちらでも、と答えた 。

 

私は、何にでも首を突っ込んでしまう質だし。教会も当人の通い易い、それが見つかるまで、それこそ教会風を声高に叫んで。渡り鳥三度笠で点々したから。

プロテスタント系を、幾つも覗いてきた。その中には、キリスト教史にて、カトリックでの火炙り刑=プロテスタントの殉教者、と位置付ける教会もある。

私個人は、キリスト教徒が仲良くなければ。対イスラム、そしてユダヤ教徒に対して示しがつかぬ故。共闘や連帯は、時には要ると思う。

で、冒頭の彼。即ち正装せる、カトリックとおぼしき、眼前に突如出現せる司教か司祭の彼であるが。昔々、[拉致事件]の支援に関わりを持った当初。その最たる中学生女子生徒の音信不通及び消息不明は、カトリック的、即ちマリア的災難と想い。カトリック信徒と共闘と、独断先行。しかし、それも、小回りが効くプロテスタントの小賢しい視方。

カトリックのような、歴史ある巨大組織では、各大陸からのクレーム。[拉致事件]が如きは、優先順位。二桁以降ではあるまいか。

長期の同盟国たる超大国のトップの直談判の口添え。並びに、国連での決議案等。

流石、40年の不在は、戦慄物でしかない。国家主権の侵害及び人権蹂躙は、異口同音。大義名分はあるのである。