マティアと、マッテヤ。その相違は、マティアに、ひとつになった、らしい。
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先日か。先年か、忘れたが。
ある、プロテスタント系の教会。対コロナ禍下。何処の教会も、そうであるように。
「三密」対策下。
説教、集会に参加できぬ故。自宅で、インターネット配信のそれを視聴することになる。
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イズムの境界線は、眼に見えずとも。現前に、厳然としてある訳でしょうから。
然らば。マティアと、マッテヤ。その相違は。新世紀を越えても。そのまま行く。
そんな事は、三の次位で。もっと、喫緊の課題等、山積してるはずだ。
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でも、そのプロテスタント系の教会、女子牧師か、視たのだ。確か、「マティア」と。
文章だったろうが。それを、私は、視覚から、インプット。脳内で、聴覚変換したようだ。
これは、どういう理由か。訳あり、とは何ぞや。
プロテスタント側が、オリ・パラリンピックを迎えて。諸外国から迎えるであろう、各国選手団。その総数が、多数。おそらく、カトリックが比率。
それを見越して。譲ったのだろうか。
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それだって。たったひとつ、視ただけであるからして。
でも、はっきり。確かだと想えるとことは。
キリスト教徒が、簡易なもの言いだが。その領域内で、仲良くならなければ。それを、イスラム教圏と、ユダヤ教徒に示さなければ。身内内だけでなく、和解は広がらない。拡がりを見ることはない。
たったひとつ。それも、ネット上で。しかも、この緊急事態宣言の、繰り返し、その最中にあって。
ささやかでも、細々でも。積極的能動的に。
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マティアか、いいだろう。
言霊は、私的マッテヤ。それくらいの柔軟性持ち合わせなくば。
アーメン