かいふう

近未来への展望や、如何に。

法治国家の行方

  

たとえば、「地の塩」を舐めた、その身。から、40年。だから言う。

[ある書物]に、報いを受けないようにしなさい。

このフレーズで、厳格と教訓とを伴うならば。クリスチャンなら、わかろう。というものだ。

かって、某地で、先輩の同僚に。その地を離れる前後に。強くはっきり口頭で言われた。彼は言った。『クビから上しかいらない。生かさず殺さずだ。』ような内容だった。

この発言もあって。この事だけではないが。暇乞いを、願い出た。

彼からすれば、現場の先輩上司として。不安を感じたのだろう。

願い出た対象は、その職場の最高責任者にして。法人組織としての雇用者でもある。 

そして、数年後。訪ねた折には、写真も撮らせてもらった。公的法人であるので、配慮であったろう。撮影対象者彼らが、肖像権なるもの知らずとも。カメラマンが未だ記憶ある者であるなら。許容範囲、その基準は、法人の判断が裁量である。

更に後年、訪ねた折。撮影時の建物すでに無く。敷地内、新築。門の表札も、町立となって在った。在職時の面識ある同僚も居たので、新設館内見学許可あった。

町立になった。というは、準ではなく。法人の設立時とは、その性格を変えた、という訳であろう。

確かに、平成の大合併はあった。今となっては、それが、東日本大震災以前か、以降か。いや、大合併以前だろう。

[ヱマオ]は、消えた。亡くなった。

すると、あの時彼が私に対して言った批判評価は、まさに、ブーメランした。と思わざるを得ない。『・・・。生かさず殺さずだ。』

[ヱマオ]は消えた。は、そういう訳だ。

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私が在園当時、備品のハンドブックで調べた限り。設立の資金比率なるものは。

国が1/2、地方が1/4。そして、設立者が残り、即ち1/4となる。

つまり、設立者が個人で、故人になれば。契約時に元々借地であれば。

返還されるは、市町村だから。町立となる訳だろう。たどれば、平成大合併で、市名が変わっただけなのだろう。大合併後に、市立になったか。知らない。

個人的関心は、[ヱマオ]が消えて。キリスト教の意識、それが消失した。その事である。

しかし、徹底して載せるならば。キリスト教精神なるものは、継承されてある。と言っていい。近隣に、教会が在る。そこと、係わりが有る。を知っている。

結論は、キリスト教社会福祉法人が『生かさず』になって。宗教法人がひとつ生まれた。そんな処か。