「13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」
マタイによる福音書第五章13
私的「レ・ミゼラブル」. その2
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先日。新装開店なったCOOPで、「ちょうした さんま蒲焼」の三缶セットを購入。それから、本年のサンマ不漁のニュース。
私が、蒲焼きもどきさんまの、アンチ「レ・ミゼラブル」の件、不徳の致す処。
それもあっての。「栄光への脱出」(エクソダス)(^^♪で、他県へ。
「ヱマオ学園」園内住み込み部屋、空き在り。その幸運もあっての、移住。
そこに、四季を過ぎて。更に、引っ越し。
そこから、30年の折り返し。「ヱマオ」の消滅、を知る。
やっと、見つけた教会。儀式を経て、国策の一環で、『ムダな抵抗は止めて、出て行きなさい!!』の拡声機の幻聴に怯え。「家なき子」にもなった訳じゃん。ジャン・バルジャン。
なんだ、結構ドラマチックじゃん。
マッテヤで行っていいじゃん。
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地上に在って。そこを訪ね。教会堂を見つけ、教会員が集うを想えれば。
たとえ、訪れた日が。主日でなくても。祈祷会の日でなかろうと。
日を越えて留まる事なく。目礼で十字架を見上げて、立ち去りもしよう。
在るからを、この眼で見たからである。
わたしはトマスに非ず。
しかし、帰宅して。わが友に、トマスなる者が居るを知れば。旅の報告もしよう。
旅先の、美しい自然。その浜辺で獲れる、障がい者でも食し易い小骨のない魚。
そして、かような豊かな大地。さればこその、無邪気で純朴な笑顔の彼らと、その地域を。
よき思い出を蓄えるは、未来への糧である。
その施設は、今では。教会堂に姿形を変えて、在る。らしい。
その施設そのものは、名称を変えてある。しかし、クリスチャンが関心を示す名。
それを棄てた以上。私には、無意味だ。
従って。わが友にトマスなる者が居ようが居まいが。その教会堂の在る無しについて。
トマスの気持ちになって。信じるのみである。
その時から、折り返して。数十年。
対コロナ禍に構えるのみ。
アーメン
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「ちょうした さんま蒲焼」。この缶詰を初めて食した感動は、少年から現在まで残る。当時は缶切で開けたが、これは当時のコメの味を上回って、ご馳走であった。
ひとつ苦い経験がある。それは言えない。ひとつの缶詰を無駄にした話だ。ジャンケンすると思い出す。
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佐藤春夫の詩に、『さんま苦いか、しょっぱいか。..腸(わた)をくれむとたのむ』があって、ひとり食卓でそれが載ると、その詩を思い出しながら食した期間があった。
大根下ろしが付くのは、定番でしょう。
さんま開きの味醂干しもいける。最近TVで、東北三陸の港町、各家庭の味醂干し、秘伝までではないが、おかみさんたちが競ってゲストとアナウンサーに説明していた。越冬前の豊漁から、保存食の知恵で、生活の根幹にかかわるものだ。
自然と直接接しての仕事を生業にする人びとの地方言葉を耳にすると、もはや郷愁だよね。
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2020年8月30日(日) 15:00開始