「よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。」
マタイによる福音書第六章2・34
「E」まで、あるいは「ラーストクリスマス」(^^♪をもう一度。その3-2
「エマオ耳鼻科医院」を発見。
再掲。私が、その地を再訪したは。離職して、まだ数年以内だった、と記憶する。
撮影機器購入に大枚はたいて。それでも、撮りたかった。彼らが、私を覚えていてくれる間に。
障がい者だから。それ故、撮ったのに。仕上がった写真を見て、驚いた。そう見えない。外観で、それとすぐわかる方もいるが。
考えた末。障がいは、部分だと、わかった。
あとは、著作権VS肖像権なるもの。本人が判断不可は、収容施設側の管理責任者が「後見人」だろう、判断。
アルバムで送れば。それを、近隣施設作業品、合同展示会等で。コーナーの机上にでも。置くか否かは、収容施設園長の判断に帰するのだろうよ。
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発見した「エマオ耳鼻科医院」、何時開業か。
その名称の由来。「ヱマオ」園長は、元公務員の音楽教師であるからにして。
それで、耳鼻科なのかも知れない。
収容者の女子部に、その医院の責任者と同じ名字の、リーダー的存在の方がいた。外見は、それがわかるが。その話しぶりや眼差しは、本人が障がいを意識自覚できる程度で、軽い。時には、仲間の非礼態度を批判発言する。
その彼女の親類縁者だと、おもった。
ある条件で、その名を冠する事、に落ち着いた、のだろう。推測するは、私の自由。勝手でもある。
而して、その基板となる要件とは。それが、提供されたある情報なのだが。それに係わりある者。その件も、期間限定のそれであるし。
かと云って。された側が、『後出しジャンケン』を云っても、言い訳でして。頼んでも無いのだから、と。
「報いを受けないようにしなさい。」 この聖句にこだわる謂われである。
それ故、もはや報いを受けてしまった者には。
以後、容赦しない。
そう、在るべきでしょう。それが、なし崩しになったら。信者には、棄教へつながる。と、思う。
「地の塩舐める」しか、残ってないのだから。
それで、こちらの意向に添わぬ、もはや報いを受けてしまった者には。
あとは、舐めた舌鋒で、ひたすら。厳しく、激しく、糾弾するのみです。
まあ、消極的思惑VS積極的推測からの失望、辺りですか。
いずれにせよ。「タイム イズ オーバー」の案件で事後処理された訳ですから。
「ヱマオ」に送った手紙。「ヱマオ」が消滅をもって。
「風と共に去りぬ」。
そして、地域近隣に。その遺志と意志を継いで。キリスト教会が建設されました。
クリスチャンにとって。それは、「倫理的実存」としての社福法人から、「宗教的実存」としての宗教法人。それへの移行に成功した、好例として。記憶されるでしょう。
我われも、倣いましょう。
新たな、艱難を受けたのです。時代も移りました。【国難】でもあります。
本年のイースターは、本日です。信徒、並びに求道者の皆さん。お祝いしましょう。
アーメン