「 5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」
マタイによる福音書第六章5
詰問と、質問との相違。あるいは、説得と解説とのそれ。
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例えば。「それは、駄目だ。」。『それはダメだ。』
『それはダメだ。』の方は、先に、「ヱマオ」があるにせよ。
口頭で問答する分には。聴覚で、片仮名を異訳して。更に、ヱマオまで連想するは、難儀なことだろう。
二段目は、意訳だろうから。そこに、意思や意欲を想わなければ。何のことやら。
キリスト教だから。禅問答ではないのだけれど。
相手が。億万長者、もしくはそれを装った堕天使であろうと。
極端、ホームレス、もしくはそれを装った偽悪魔であろうと。
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ここでは、最終行にこだわって。何も、祈ることに限定しない、事にしよう。
やはり、二度はないのである。
クリスチャンが、地の塩を舐める、と言うは。斯様なことだ。
こちらが、棄教するか。さもなくば、彼らが、信者になるか。
我われが、彼らが甘えを喝破して。それを指摘して。そのための詰問に至る、のであれば。それが、回答。
論拠を示せ。
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決定的と、致命的との相違。
昨日から。その翌日になった。
丁度、ある日が、重なったので。触れよう。
今から、76年前の、今日。すなわち、1945年、8月15日。それはあった。
彼らにとっては、それは、致命的な事であった。
後、一日。一日分の相違があれば。彼らは、今日も、生きていたやも知れぬ。
たった一日。
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戦時下、趨勢を決めるは。交戦国に対して、攻勢に出て。進攻作戦が計画通り。その母国へと戦力を集中し、戦意を喪失させる決定的痛打で、時の勝敗を決める。
複数が原爆投下は、その最終兵器である。
御前会議が裁可は、8月15日を決めた。「玉音放送」が流れるまで。
最前線が将兵、誰ひとり知る由もない。知る者は皆無。
その日も敵機来襲で、彼らは離陸迎撃したのであるからして。帰投なかりせば、何のことやら。
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1945年8月15日.千葉県大多喜町泉水に零戦墜落。当時、農家の女の方が、目撃証言。
その搭乗員が、増岡寅雄一飛曹(18)なのか、杉山光平上飛曹(20)なのか。
定かではない。増岡一飛曹は、「G線上のアリア」が好きだったそうです。
当時零戦装備の20ミリ機関砲も発掘されたが。遺骨は、ひとつの断片。DNA検査が可能だが、誰彼の特定は、二の次。県央部に茂原飛行場は在ったが。県内、そこだけに非ず。
よって、睦沢町立歴史民俗資料館に収納。
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私も、40年前。施設の遠足で、大多喜城を見学。市内に、県有数のプラネタリウムがある。
たった一日。
その、猶予を頂いている者からするに。それを生かして、何かする。
それは未だあるのではないか。
アーメン