決定的と、致命的との相違。再考。
_______________________________
昨日の、今日だから。
クリスチャンのみが意識してある日。それが、昨日だった。
そして、翌日に至るための在る日。今日は、そんな日である。
サンドウィッチの間に挟んである具、の日。そう譬えられもしようか。
従って。具であって、愚ではない。
同時に嚙んで。共に、噛みしめるものである。自家製ならば。
相も変わらず。挟む具は、造る本人が自由が裁量に任せられるべき、具材でよろしかろう。
浮かんだ順に、披露しよう。コロナ禍下。バーゲンセールだ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「真の侮蔑は沈黙である。」 S・ボーボワール
彼女もまた、二度の世界大戦の時代を生きた。昨今が話題で言えば。1936年ベルリンオリンピック開催時、20代後半で。ナチズムが抬頭を、眼前で見せられてしまった年代。
私も、劇映画「ソフィーの選択」を観た。ここでの主旨は、その原作が自伝やノンフィクションではなく、虚構も許容される小説か否か。それではない。何百万人も集められて。そのケースの象徴としての事。
ブルジョワ、カトリックとくれば。半面教師として、選んで差し支えない。
反面教師じゃねーよ。そこんとこ、間違えないでくれたまえ。
晩年、反カトリック的契約結婚経由で僚友をば伴侶で終えたのであるなら。彼の言に添うもわかり易い。
母国が、インドシナ半島、再進駐。ベトナム戦争、その抗議を含めての社会主義体制接近、ならば。
個人が参加しての、実存主義者の、至言だろう。
--------------------------------------------------------------------------------
「ベトナム戦争」は終わった。その国は、その国の存亡を賭けた「国難」を、どうにか乗り切り、数十年。克服してある。
その間。化学兵器に分類される、ダイオキシン。枯葉剤使用、空中散布の後遺症。その被害象徴として。二重胎児「ベトとドク」分離手術が為された。
これも、或る選択ではあった。強制収容所に隔離されての、実の母のそれではないが。
二者択一の、医療行為としての。国家の威信もあったにせよ。
しかし、そのような戦争を体験した経緯から。未だ、社会主義体制国家なのである。
どんどん市場開放され、資本主義化されるべきであろう。
そして、より豊かな自由をば、結果として。享受すべきだ。
我われは、何を証明しよう。
共産主義が隠れ蓑を被った、無神論国家。そこから、離れて。此方でも解放され。
我々に、更に近接する隣国として、お付き合いしたい。
__________________________________
「当然、必然、自然。」 武者小路実篤
然らば。上記の分離手術が案件。
手術が当然。すれば、どちらかが犠牲は必然。無理な負担を軽減されて、更に生きるは自然。