かいふう

近未来への展望や、如何に。

案件と、事件との、相違。その1、 by「コペルニクス的転回」

国会議事堂

[拉致事件]の当事者のひとりは、その当時この国の義務教育の対象者たる中学1年生の女子生徒である。被害者なのだ。新潟県警のHPでは、長く『案件』として載っていた。つまりは未解決だから。それを現在は確認してない。同じ県でも、帰国された方々のそれは、もはやその表示はない。判別する。
ベトナム戦争後の、「ベトとドク」も、分離手術の可否。これも『案件』であったろう。実際、手術を決断し、双方の生命を失うよりか。ひとつは確保する。非常な熟慮と医学的所見により、為された。その結論は、プロの専門科の重大な裁量による。この件の歴史的時間的前後は、忘れたが。
私が、個人的に、「コペルニクス的転回」を意識し、その決断を迫られたは、ベトナム戦争の泥沼。
当事国アメリカは、フォーク(^^♪の女王が、「We shall overcome」🎶を高らかに歌っていた。市民たちも挙ってデモに参加した。そのニュースが世界中を駆け回った。その大国は、映画の都に多くの人材とタレントが集まり、劇映画という形式で、豪華絢爛、[旧約]処か。[聖書]の主までも、表現描写していたから。時空を超えて、再現する。その芸術作品の数々。それらを通して、真実を追っかけた。
でも、真実なるもの。そこだけに在るものではない。