「ベトナム戦争」は、何時終わったか。
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ベトナム戦争 | |
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戦争:第二次インドシナ戦争 | |
年月日:1955年11月 - 1975年4月30日 | |
場所:インドシナ半島 | |
結果:北ベトナム側の勝利 |
『昔々あるところに、・・・・』で始まるものではない。
『ワンスアポンアタイム、・・・』とも云うにくい。
しかしながら。約20年間は、上の表から、一目瞭然。
始まった年に生まれ者ならば。我が国の慣習にならえば。「二十歳」と呼称される節目。
21世紀に入っては。国家体制の主義主張に相違があっても。既に、貿易や商業において、互恵の関係が続いてある。
大陸のキリスト教の、某教会の若き宣教師の方々も、自由往来が可能になった。
終戦後、半世紀近い。
例えば。大陸生まれのキリスト教徒。そのひとりたる若者が、彼の遺作であろう第三作目に主演。その直後に、それこそ。悲劇的死で、母国で召されようと。本日は、彼の命日である。その記憶を亡くそうと、亡くすまいと。
その作品が、劇中に描いたは、北東アジアの某半島で交えた動乱にも触れている。
従って。悲劇的死の若き俳優。彼は、「ベトナム戦争」を知らない。訳である。
世代交代、がある。歴史における過去は、史実となり。
事実は、個人の記憶に誤謬なかりせば。そうである。
更に、受け入れるべきは。今朝目覚めてからの、明日への希望へとつなぐ。
山積する我われの諸問題への、解決への断固たる意欲。並びに、団結して抵抗する決意であろう。
現実が眼前にある以上。あれも、真実。それも、真実。
そして、これも真実だろう。
よくよく、判別しよう。その力を損なう事無く。備えよう。
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昨日まで。あれという真実に向き合っていた者。踵を返して。
180度、回転してしまった。美徳を、背徳としたのだろうか。
それは、違う真実を探し始めたのだろうか。
「劇映画」と。ドキュメンタリー、すなわち記録映画は違う。
「ベトナム戦争」を知らない訳にはいかない。それは、『美しい虚構』ではない。
記録映画の「兵隊さん」は、撃たれたら。死ぬか、戦傷者になるんです。
それで、遅ればせでもいい。観客で済むなら、それという真実に向き合おう。
同時代、同じアジアで現在進行形。
これが、「コペルニクス的転回」、だと思った。
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さて。時は、インターネット時代。
「ベトナム戦争」を題材にした、名画も観ることが可能。
例えば、「地獄の黙示録」、「フルメタルジャケット」。
この国のみならず。地球規模で。地域によっては、戦時下もあり。かつ、「コロナ禍」。
しかし、この国。列島は、「コロナ禍下」にある。
上記の、 これも真実だろう、に該当する。そう思う。
すると。この【厄災】にどう対処し、出口を見つけなければ。
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加藤勝信官房長官は30日の記者会見で、北朝鮮外務省が日本人拉致問題を「解決済み」とする声明を出したことについて、「受け入れられるものでない」と述べた。
加藤氏は、2002年の日朝平壌宣言に基づいて拉致・核・ミサイル問題を包括的に解決し、国交正常化を目指す考えを改めて表明。菅義偉首相と金正恩朝鮮労働党委員長との無条件の会談実現を含め、「あらゆるチャンスを逃すことなく全力で取り組む」と語った。(時事)
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投げて来たボールは、暴投であっても。しっかり捕球して。
直球勝負だ、とサインを怠ってはならぬ。