かいふう

近未来への展望や、如何に。

祝日

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日の丸

 

「マティア外伝」こそ、この日に相応しい。

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1.わたしも、聞いた者のひとりです。彼の説教を聞くなら。風の流れというか、山上というか。

その要件もあるでしょう。大きな声というだけでなく。心肺機能もすぐれてなければ。われわれに、聞いて快く、聴こえるものでもありません。

 

2.彼が連れてきたは、敵どもです。指差したは、ユダ。

われわれは、疲れて休んでいたのです。腰を下ろして、あるいは寝そべってもいたでしょう。緑の葉に囲まれ、休息は心地よかった。彼から指図を受けて。

ペテロでしょうか。彼も、われわれも、祈ることにしたのです。

指図した彼は、奥まった所にひとり行き。祈り始めました。

その後姿は、かって視たことが無いほど。

われわれは、騒がしい物音と、大勢が足音で目が覚め。その方向へ視線をやると。

先頭に、ユダがいたのです。

普段の彼と違って。険しく、息も荒かった。

奥での祈りから、気付いて戻った彼は、誰かを叱責した。

エスは、ユダと対面した。

やって来た群衆といっていい。彼らがひとり、剣を抜いて。

われわれが仲間、やはり剣を抜いて、耳に切りつけたは、覚えているのです。

群衆はイエスを捕らえて。われわれを置いて、連れて行ってしまったのです。

いや、正確には。われわれが、イエスを置き去りに、逃げてしまった。

 

3.彼が、十字架に架かった時。私は、その一部始終を、群衆の中から、見ていました。

磔刑場への道は、長く感じました。わたしの前にも。わたしの後にも、人の列がありました。

皆、無言で。彼が背負った十字の柱を前に、近ずくにつれ。重苦しい鈍重な、周りは曇り空に覆われていくのです。

やがて、彼を含む三本が、引き上げられ。

彼は、隣のひとりと何か会話を交わして。

ローマの兵隊が、左右から、彼の脇腹を突いた。確かに、赤い血が、したたり落ちて。

彼は、茨の冠のにまみれた顔で、われわれを見下ろしました。

わたしは、即座に反応して。集まった群衆の中から。彼に、アピールしたんです。大きく、両手を上げて。一瞬、苦悶する表情が彼と、目と目とが合った。

彼は、わたしに気付いてくれた。

しかし、それ以上は適いません。ローマ兵がいます。

しばらくすると、彼は天に向かって、何かをつぶやいた。

そして、首を垂れました。

共に丘まで登った、女たちの悲鳴と、われわれの仲間たちの嗚咽が。わたしの耳に入ってきたのです。

ある者は、肩を落とし。年上の彼らも、力なく膝をついて、嘆いています。

その波が及んで来て。

わたしも、のまれました。破船した船乗り、舵を失くした漕ぎ手。

天からの支え手、彼を失くして。辺りは、荒涼がどんよりとした暗い雲に覆われたのです。

わたしは、自然が。かくも瞬時に、形相を一変して。時を運び去るものだとは。

彼を追って。なだらなではない山道を登っていた、あの平穏は何処へ消えたのでしょうか。光は過去を探すばかりです。

残ってあるは、先の見えない不安と、時代が消失が、交錯してあるばかりです。

 

天が裂けんばかりに、稲妻を走らせ。

驚くほどの、雷鳴が聴こえました。

怒りに、聞こえました。

 

誰もが、怖れおののき、地にひれ伏している。ローマ兵さえも。

 

やがて。雲間から、一条が光が差してきました。

それが、幾重にも

 

4.われわれの中にいたであろう、ヨセフが。イエスの遺体を引き取りました。

降ろして、亜麻布で包んでしまったので。刺された傷口がどれほどか、わかりません。

しかし、傷口が浅かったが為か。それ程、血の色が記憶にないのです。

聖杯などは、ローマ兵に聞くがいい。

失血死の定義など、知るものか。

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ただ、わたしマティアは。その女が胎に児を孕んでるかは目利き。なので、

エスが刺される、当の槍手。彼らがローマ兵。処刑する者が、誰かを畏れて。

無意識が手加減、威光の為せる業。無きにしも非ず。

 

刑場が観客。群衆は、確かに赤い血は観た。いつもと、同様に。

しかし、刑執行者が、彼ら。主の栄光に圧倒されて。

最小の傷口、最小限が流血。拠って、彼が身体は、仮死

 

これは、仮説。ですから、「外伝」と初めから、断ってあります。

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マグダラのマリアとほかのマリア。

彼女たちが、墓の番をしていたからね。大喜びで走ってきて。われわれに知らせたよ。

ヨセフが掘ったという新しい墓。大石を入口に置いたというだけだから。われわれが吸う、空気が換気、十分あったとおもう。

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わたしマティアは、この自説をもってして。奇を衒う心算は、毛頭なく。

消去法にて、彼しか見つからず。よって、更なる信仰を断念する。そのような事無きよう。そう、願うのみです。

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<参考>トリノの「聖骸布」の、真贋について。専門家の、診断というか。賛否あります。それも、何れも、権威ある、学術機関や研究所なので。年代事、最新機材を駆使しての調査結果でしょうから。

私は、ノン・カトリックの領域から、意見を述べている故。バチカンの意向に添うは、無いです。

以下。Wikipedia.「聖骸布」を検索。「トリノの聖骸布」に記載。
エスは胸を刺された(ヨハネ19・34-36)

その死を確かめるために胸の右側を槍で突かれているため、右側に4×1.5cmの傷がある。ここから流れる血による陰影には、色の濃い部分と薄い部分とがあり、血液と透明な液体とが混ざっていたと考えられている。いわゆる「血と水」である。 聖骸布の人物には鞭打ちや暴行による打撲傷の跡がある。そのため肋膜炎が起こり、その中に水(血清)が溜まり内出血を起こしたとも考えられる。また、心身の苦しみのために心臓が破裂し、刺されたときに水(血清)と血(血餅)が流れ出たとも考えられる[18]

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日本聖書協会、「新約聖書」。1954年改訳版には。

ルカによる福音書」、には、ヱマオ。「マタイによる福音書」には、ガリラヤ。それぞれ、復活したイエスが地名を、載せています。

ここは、「マタイによる福音書」に依り、準拠します。

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もうひとつ。同版「ヨハネによる福音書」が、載せているので。

「34 しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。
35 それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。
36 これらのことが起ったのは、「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉が、成就するためである。」

                   「ヨハネによる福音書」第十九章34~36

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私の[聖書]の一節、には、「(読者よ、悟れ!)」が記載されてあります。

たまに、見掛ける。

皆さん。上記、二つの文章。読み較べてみてください。

トリノの聖骸布」の人物は、イエスではない!

これが、このブログの主、私の結論です!

Wikipedia、「聖骸布」、「トリノの聖骸布」に記載。イエスは胸を刺された(ヨハネ19・34-36)→胸の右側心臓が破裂。

心臓破裂の人物が、ヱマオの村歩ける訳無い。ヱマオが記載の「ルカ伝」は、医者の代名詞として扱っている。胸の右側ですから、あながち外れてはいないにせよ。

当ブログの主の仮説の方が、勝ってるんではないか、と。

エスが心臓は無傷で、損傷を免れたがこそ。三日目に復活されたんだ、と。

その為には、あくまで。「わきばら」でないと。いかんのですよ。

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捕捉です。念の為。「トリノの聖骸布」は、あくまで、「聖骸布」について記述してあるのであって。カトリシズム内、「聖人」、そして「福者」。彼らが、幾人現れて。何人、「聖骸布」に包まれて、墓地に納められたか。

部外者の知る処ではない。