「 防災の日」。
「関東大震災」は、それほど、大変な史実だったのだろう。
都心の霊園を訪ねれば。当時の府長の墓地と数メートルはあるであろう、顕彰碑を見る。確かに、百年に一度の厄難であるが故。火災と廃墟から。大胆な都市計画も政策立案為された訳で。
「平成」から、「令和」へ。時代の変遷は、この国が、実は地球規模の「地震大国」である事。それを、常識に露見させた。光の届かぬ底知れない日本海溝は、水面下10000メートル。列島に沿ってある、をおもえば。
防災意識は、高まらざるをえない。
少年時、連れられて行った公園は、今も。慰霊堂が在り、3月10日の「東京大空襲」の被災犠牲者と共に、納骨されてある。
まさに、「都市の論理」だな。無数の設計が為された、容れもの、ビル群。
霞が関ビルディングに始まった。この国の建築土木は、海峡トンネルも含めて。世界に冠たるもの。
例えば、東京オリ・パラリンピック、を迎えるべく。外郭環状道路も、地下40メートルの掘り削工事、南北から現在進行中である。
整然と空き無く並ぶ様は、市街区画で機能してる。勤労者に安心と期待を想わせる。