かいふう

近未来への展望や、如何に。

「人に薦めたい映画」/「拉致事件」に名称更改/辞世の句ではない.その3/『会えない不自由』、と会わない自由/虚構の宗教、消滅す/「ミネラル、それともミラクル」/2012.9.9(日) 主日/「郷愁」という名の宝箱.No.1「ぼくのナターシャ」/No.2「ベートーヴェン第九」を聴く/宝箱を守るために.No.1/宝箱を守るために.No.2/「U伝説」で行こう/「郷愁」という名の宝箱.No.3「メロンパン姉さん」/No.4「花は咲く」♪を聴く/No.5 [主の祈り]/No.6 我が懐かしき「埴生の宿」♪/No.

一本なんですよねぇ。百本程あっても、ひとつ。「サウンド・オブ・ミュージック」♪劇映画でしょう。視て、聴いて、考えさせてくれて、なお未来への展望を抱かせてくれる。数十年想い続けて、その主演女優さんの公演にも席取れた。十代後半の多感な年頃とも重なったでしょうが、ワクワク・ドキドキ・ソワソワで眠れませんでしたから。一本なんですよねぇ。止むを得ません。

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週が更新して、グリーンスター付くの諦めて、表題も変更。

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上記を載せることで、[原爆症認定訴訟]『ノーモア ウォー!ノーモア ヒバクシャ!』/原爆症救済法が成立のエントリーが自動繰り下げ、画面から消える。これを印刷する時、どうなるか、わからぬが。
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2002年の日朝首脳会談北朝鮮が日本人の拉致を認めてから9月で10年になるのを前に、新潟市中央区で25日、拉致被害者全員の救出を求める「県民大集会」が開かれた。新潟県佐渡市在住の拉致被害者曽我ひとみさん(53)ら約2000人が出席し、拉致問題の早期解決を訴えた。日本政府が認定した拉致被害者は17人おり、同県内では5人が拉致され、曽我さんの母ミヨシさん(拉致当時46歳)と横田めぐみさん(同13歳)が行方不明のままだ。このほか特定失踪者問題調査会が、拉致の疑いを排除できない特定失踪者に認定している人が約470人いる。曽我さんは集会で「一緒に拉致された母はもう81歳になる。私は諦めていません。もう一度だけ親孝行させてください」と訴えた。横田さんの父滋さん(79)は29日に北京で開かれる日朝政府間協議に期待感を示し、「大勢の人が被害者救出の必要性を感じ続けてくれることが政府を動かすことにつながる」と話した。(2012年8月25日読売)

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このブログ内のグループ名を、「拉致事件」に更改。今年前半の家族からの要望に、答えた。もっとも、エントリーでは、昔からそうでしたけどね。

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2012/08/30 拉致議連100人以上が特別総会参加。

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□すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会 日比谷公会堂 9/02(日)午後2時から5時まで
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新21紀 十四十五は紛れなく 拉致傷痕の カミカゼぞ吹く     豆人

台風十五号は史上数ある大型で、弟分が先に北上する展開になった。その暴風雨圏の東側が被害範囲とする常識からすれば、どのコースかで、注意報範囲を推測できる。台風十四号は、その後を追いかける形で、続いた。被害の模様詳細はわからぬが、外交情勢の雰囲気から、このブロガーも、『カミカゼ』と受け止めた。尖閣諸島竹島の問題が喫緊となり、日朝協議も民主党政権で初めて会合となり、並列進行してる感覚を覚える。ロンドンの舞台では、後半のパラリンピックに入った。
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午前零時に空を見上げた。濃紺に満月のようだ。時折、ゆったり流れる雲が、円形の月にかぶり、古やら、二千年みたいな、それでいて、何時まで見ていてもいいよ、と何も無かった月の年代記を、表示してる。その微光は、それ故。相照らす地球という星の、地上の幾千幾万の戦とそれで亡くなった幾千万の人々の苦難や憤りなど、お構いなく、冷静の形と、称することにしよう。数千年にとって、数百年にも、数十年の事は、何のそれしき、だろな。しかし、たかが数十年の事であろうと、引き裂かれた家族にとっては、苦痛心労この上無き。この夜のごとき、月の光を仰ぎ、離れさせられた家族も見てるだろうな。それで、後生は諦めて、では収まらぬ。悪夢で終わらせてはならぬ。悪夢は、晴れて穏やかな日の再会、でなれけば。今夜の静かな光は、その再会の日を、更に忍んでも尚、待つという決意、のささやかな現れなのだ。自由を奪われ幽閉にある者は、『会えない不自由』を抱えている。悪魔に魅入られた輩どもに、捕縛されてある。彼らも、今夜の静かな光を、獄中の格子越しに、浴びているやも知れぬ。だから、海を隔てようと、山に遮られてあろうと、自由と平和を享受する圏内にある者は、幽閉と捕縛されてある者を、救い出す事に、無知無関心であってはいけないだろう。逡巡の無駄と慇懃無礼から逃避してもよい。会わない自由、をば行使して、『会えない不自由』の生死の極限に囲われてある彼らに、どうにかせねば、という思いを致し、彼らとの再会を期す、展望を持ってくれたまえ。

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明日は、□すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会 日比谷公会堂 9/02(日)午後2時から5時まで
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『虚構の宗教』が消滅した。『カミカゼ』は本当に吹いた、のである。

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宗教は、原則として虚構であってはならない。ある輩が、ある者でないのに、ある者であるかのごとく振る舞い、装い、発言しようと、彼のその死を至った日こそ、彼の正体が証明される。さて、彼が、そしてその取り巻きが為した事は。
先ず考えた。ここは、銀河系である。そして、太陽系である。それで、その惑星群のひとつ、地球ではある。「宇宙船地球号」は誰の造語か知らんが、新世紀21世紀に、相応しい呼称ではないか。共に乗り組み、互いに時に舵取りを委ね、任せ、信頼と連帯で、これからの航海を行こうではないか。と、そう思い、なのに、『どこの星の話?』、『彼は何者?』だけの問い掛けの詰問でしか終えないならば、本人はどこやら、その取り巻きが無回答ならば、何の事やら。そして、ただの時間稼ぎか、としてたら、本人死亡。これで答えは出た訳だ。途中でどうのこうの、が無かったのは、彼の正体を証明する為に他ならぬ。それで出た。彼は、キリスト教徒の信仰の究極の対象、御名によって祈る御方ではなかった。つまり、その御方ではないのだから、偽証せし者。『虚構の宗教』という結論になる。
その団体の掲げる、「新約」及び「旧約」の「聖書」、以外のそれは、教祖の死そのものをもって同様、虚構の代物、という結末を導く。そうでない者を、そうであるかの如く掲げて、そうでない者が死に至り、何ももはや語らぬのだから、{被せキムチ王国の空中楼閣}、掲げた教義も実質空洞、崩壊するは至極当然。宗教法人は、解散が妥当だろう。何時そうするのだ。それしか残らん。
世界の、カトリシズムでもない、プロテスタンティズムの諸教会でもないところから出発しておきながら、何じゃ、終わりの入院先はカトリシズムの病院だと厚顔無恥は恥の文化、虚構の代物上乗せたる厚顔キムチは、恥では無いか。虚構の代物上乗せ偏重は、斯様に、幕を閉じたのである。
万人諸氏よ、とくと、見よ。銀河系であり太陽系である、そしてその中の星のひとつで、AD2000年前後、『虚構の宗教』が闊歩し、数多くを惑わし囲い込み、そして朽ち果てたかを。後年の学識者がどう評価するかを。そして、我が脳内の引き出しのひとつ、宗教は原則として虚構であってはならない、という難問も、空となった。被せキムチ偏重、すなわち『シュールキムチズム』は解体した。今年の秋は、日本晴れに冷凍秋刀魚も解凍焼いて、佐藤春夫のもはや古典詩を味わおうぞ。その日は、『虚構の宗教』が消滅した日、なのである。
以後、祈りが項目ひとつ減る。誠に主に感謝する。御名によって祈る諸兄諸姉、彼らに祝福と栄光あらんことを。アーメン

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『被せキムチ思い込み教祖一代記』、人物論だろう。
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    「ケラーのミラクルウォーター」  作ピーマン

P「皆さん、お休みしてました。毎度のお騒がせです。今年の夏も、いゃあ、暑かった。ヒートアイランドも定着しましたね。ぼくも、この国に来てから、それぐらいになりますか」
M「よく、コンビを組んでから、コンビニで、舞台の後、冷たいもの買って、飲んだ」
P「ぼくも、故郷に錦を飾ってから、それからは、フライトして来たんだからと、わざわざケンタッキー空港まで寄って、本場の元祖フライドチキンを買って、母さんに届けて」
M「そこまでするなら、浅草、道草。雷門のオコシ、母さんに届けて。コーネルおじさんも、隣にペコちゃんが並んだりして。キチンと説明して、フライドチキン」
P「雷門、サンダーバードね。くぐれるかな。昔テレビでよく視た」
「この前、テイクアウトする時、店先の彼に話しかけたら、あれは、企業秘密じゃが、ジャガイモ、フライドポテト。まず、ジェット気流に乗るほどのスーパーチキンに育て、それを見送り、そのチキンがジェット気流に乗って地球をばほぼ一周して、日本上空に来て急降下、各店の煙突を見つけ、力尽きてそのまま煙突内に落ち、フライトチキンからフライドチキンになるのじゃ」
M「それで、キッチンにたどり着く、っ訳。日本人も、水と安全はただ、だとは思わなくなった」
P「ナウぃ。ニューヨークでも、トウキョーでも、ミネラルウォーター、24時間。フランス製、カリフォルニアの山も。確かカナダもあったよ」
M「富士山の水も、神戸の山の水も、東北の水も、新潟の米どころの水も、昔横浜の船に積んだ山の水も。海洋深層水っていうのもある」 「東日本大震災では、蔵王のペットボトルも高校生のアイデアで出した」
P「安全も、交番というの。国際的に見ても、評判はいい。地域、ローカルに密着してる」
M「友だちが、ケータイ拾って届けた。その前、紙袋にブルージーンズを届けて、調書を書いたら、受付番号が連番だった、って」
P「それだけ、信頼があるんだね。ヒューマン・リレーションズ」
M「それで、マックンも食べる、パックンにおごってもらう、マックのハンバーガー。さっきの24時間じゃないけど、開店してる」 P「おごってない。でも、うけてる」
M「冷や汗もので、節電」  P「水入り」 M「へぇー、よく知ってるね」  P「大相撲、両国国技館
M「あれ、なんで、両国国技館っていうか、知ってる」  P「知らない」
M「引退した朝青龍白鵬、日馬冨士、旭天鵬。もっといるんだけど。そう、旭鷲山も忘れちゃいけない」 P「今じゃ、モンゴル・日両国国技館
M「この前、蔵前からバスにのって、日馬冨士関らしき人が、相模湖で降りた。富士山の方へ『相撲道』と言って進んでいった」「関取、そこは相模道路ですよ」
「WBCの第一回優勝は、日本だった。怒ってる」
P「おこってない。でも、うけてる」 M「第二回優勝も、日本だった。怒ってる」
P「おこってない。でも、腹立つのー」 M「そうだった、原監督とイチロー。でも、この国には、[三度目の正直]っていう名言もあるんだ」
P「オネスティ♪〜」M「この前、ミスターも、地球人と言わず、野球人と言っていた。と、今度は、山本監督だ」 
P「山本コーチ監督」 M「いや、山本浩二だ」
M「マックンに、パックンにおごってもらう、マックのハンバーガーがあるように」 P「空に星があるように」
M「ディズニーランドのドナルド・ダックマクドナルド」
P「大陸に星条旗があるように。ケラーのミラクルウォーターがあってもいい」
M「ミネラルウォーターでしょ。そういえば、パックン、以前テレビの福祉番組出てたね」 P「ウェル。ウェルフェア、福祉ね」
M「盲人の点字ブロックで、交差点の案内音の識別、メロディ♪を選んで」
P「通行車両のエンジン音が、静かで」 M「日本車の優れた技術が、かえって盲人の歩行には危うい、と」
P「だから、ケラーのミラクルウォーター、売れるんではないか」 M「ミネラルウォーターでしょ」
P「[魚ごころあれば水ごころ]」 M「トビウオ!〜」
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9月9日(日)が、イルミナティの特別な日だったようだが、パラリンピックの最終日でもあった。そして、パラリンピックの最初の開催国が、今回と同じ国であるなら、頷ける節もある。
イルミナティの上層部の方々の顔ぶれが、本当なら。
世界史で、第一次大戦から第二次大戦と、とてもわかり易い経済と社会体制の、仕組みの流れ、が見てとれた。金権政治は、洋の東西を問わず、血税納税者にとっては、貧血の苦難だろう。
先人から教わってきたのは、故に国籍を問わず、抵抗すること、そしてデモすることなのだ。 偽善と搾取に対して。
「聖書」には、確かに、そういう箇所というか、聖句がありますね。 ですから、「ヨハネの黙次録」に出てくる譬えを紐解いて、この質量と限られた大地と大海原の星の上で、どうしたら、仲良く、平和に暮らせるか、考えて、愛と希望と信仰を、戒めを、信者に託したというか、契約を結んだんでしょうに。 様々な人びとが、その持てるタレントを発揮できるよう、絶えず祈るという行為でもって、確信を広め深めていく、その過程そのものが、生きるということなのでしょう。だから、極端に云えば、死の三日前でもいい訳でしょう。それが、嘘偽りでなければ。そういう神秘体験は、本人しか答えようのない極私的なものでしょうに。
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邂逅の時。ノスタルジー。サムシング・ビューティフル。数えてみよう。

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サウンド・オブ・ミュージック」♪に主演した女優さんと握手した。夢だった。「夢で逢えたら」♪、大瀧詠一詞曲、吉田美奈子歌。

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「ぼくのナターシャ」
先日、とある私鉄駅前の、踏切手前で、横断歩道前で停止中。商業ビルの前で手押し車の高齢の女の人が、止まったまま、渡ろうとしない。一瞥して、容姿を見た。細い腕は、バレーをしてた感がする。顔をみると、化粧が上手い。目元もはっきり。長身に見える。また、前方を見て、電車が往来を気にするが、どうも、どこかで見た顔だ、ともう一瞥した。今度は顔をじっくり観た。よもや。「ナターシャ」
十代末、切符を手にする為に、ひとりで、その合間に「戦争と平和」を読んだ。そのヒロインである。小説では、作中登場するロシア貴族のボルコンスキーが、軍旗を握り締めたまま、戦場の死んだ将兵たちの中で、馬上のナポレオンから、己の死に様の見事さを耳にする、そんな場面だ。戦闘場面の白眉と呼ぶべき、主人公のひとりの仮死の状態の出会い。ヒロインは、この青年に嫁ぐ。
僕の「ナターシャ」は、彼女が十代末、新入生のクラブ入部で、キャンパスの机前に現れた。目の大きな、美少女。田中正造の戯曲上演の、団員募集でもある。この垢抜けした可憐な少女は、劇中その名前に「お」をつけ、台本にあったか知らん、農民の娘役で出てた。兄貴風の団員たちは、密かに、キスでも狙っていたのか、主演の男役のひとりが「あのヒゲ」なんて云ってたから、口周りの微かなヒゲは、予防線だっろう。高校生の時は、男役引き受けたんじゃない、女子高で。
舞台稽古で、講堂のその袖で、裏方の僕が視てたら、後ろから、何か感じる。振り向くと、彼女が睨んでた。感じた何かは、憎悪の類だったろう。僕が裏方で、表に出ない、それが裏切られた、とでも言うふうなんだ。そうだ、小学生の卒業記念に、何故か、呼ばれて、芝居の主役を負かされたが、回想するに、マッチで出身幼稚園の周辺で火遊びしたのが、知れて、この役に来たらしいのだ。その主役の自惚れが、後々まで、して裏方。照明係なのである。美少女から、憎悪かよ。その対象か。
舞台がはねて、「あのヒゲ」呼ばわりしてたプロ志望のややイケメンも、飲み会にナターシャが来ないでか、しこたま酔ってた。僕は前年野球部の優勝で、応援団の旗持ちで、あとベロベロで、部活の友だち寮の二段ベットで吐いてきたから、醒めていた。その時の旗持ち役が、軍旗を握り締めたまま仮死のボルコンスキー、に重ねちまう。僕には、「あのヒゲ」でもよかった。弟の生まれ変わり、だと思っていたからね。でも、とびきりの美少女だぜ。
幼い時、連れられて、「ミラノ座」に行った。「眠れぬ森の美女」、ディズニーのアニメである。感動する、という感覚は未だない。色彩の艶やかさと、流れる音楽、チャイコフスキーのワルツに驚いた。館内出る時、銀紙の長靴買って貰ったから、クリスマス前後だったろう。いきなり現出した美少女は、「眠れぬ森の美女」、が具現化した、そのものだった。
アニメの姫ではない、「ぼくのナターシャ」でなければならない。上演が近づくにつれ、ノルマの券さばきが棒グラフかで皆に開示され、ある日、劇団歌で締めくくるサークルになって、手を繋いだ左手。なんか指が長い。と、ナターシャの手なんだ。前年、旗持ちまで鍛えたから、ノルマが上成績だから、認めてくれたんだ。すぐれた劇団歌で、音楽が流れてたんで、ごく普通に握ってたけど。それがよかったんだろう。彼女の感性も、弟をみる視線、を感じ取ってたかも知れない。
彼女はクリスチャンだろう。しかも、幼児洗礼もあり、ならば、かなりのクリスチャン歴だろう。それを思わせる発言も聞いた。「ユニークね」
その通り、単立の教会で、僕は儀式を経た。彼女は、それ程、確かな識別眼を持っていた、ことになる。クリスチャン歴はぼくよりか長かったろう。
彼女が二十代の頃、ある私鉄駅前商店街で見掛けた。彼女も気付いて、すぐある店の扉の中に消えた。その店はなんと、僕の旧友の店だった。こちらの素性はもうばれた。
その時のシーン。と、今回の横断歩道を渡らない、こちらの眼前を通らない、は合致する。その間、つい数年前、近くの大きな公園内で、彼女らしきを見た。その時はただ顔を伏せて祈っていただけだから、近づいて話掛けることもなかった。でも、横断歩道を渡ってこないのは、僕の乗り物を承知で、あの公園で祈っていたのも彼女で、その時僕の乗り物を知ったからなんだ。同じ乗り物、の記憶から、避けているのだ。
そして、その理由もわかる。理由がある。その理由の想像が当たっても、困る。複雑だ。もう、「ぼくのナターシャ」も、同年代ならば、介護付き特老ホームの住民なのだろう。そのままでいい。おそらく、迷惑を掛けたのは、ぼくの方だろうから。「あいつはラスコーリニコフよ」って。
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米大統領選、投票開票たけなわ。ラジオFMで、レナード・バーンスタイン指揮の「ベートーヴェン第九.合唱付き」♪を聴く。ウィーンフィル、及び国立歌劇場のメンバー。豪勢だ。運がいい、と思う。彼は「ウェスト・サイド物語」♪の作曲者でしょう。何も箱を開けなくても、リアルも選択できる訳。ついでに、同作曲家の「ロマンス第二番」♪も、いい。
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>>自説の理論の証明の為に、仮想敵なるものを、人が創造されては、たまったものではない。 それは、例えば、クリスチャンならば、「ヨハネの黙次録」で、未来に対して、想像力を逞しくする、ということではないだろうか。端的に言うならば、四頭の馬の譬喩。信仰が、それを支える。 ところが、だ。{喉元過ぎれば、ナンとやら}、何十年もやってると、【堕天使】になってしまう輩も出てくる、来ないとも限らない。 それで、【悪魔】ではない。【堕天使】とも、闘わねばならぬ。 それは、天上を知った天使が降りてきた、のではなく、落とされたのである。にもかかわらず、それを偽装して、地上の信徒たちを惑わすのだから、危うい。 手ごわい、以上である。何しろ、地上の者たちが未だ知らぬ天上の話をして、それらしく振る舞い、引っ掛けて来るのだから。危うい。ならば、祈りの項目に、それと闘う、を付け加えねばならぬだろう。未だ棄教せぬ諸兄諸姉よ、共に祈る。 アーメン
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それは、法律上の条文の、判例にあらず。また、答案用紙に解答する例題にもあらず。然らば、何ぞや。卑近な例で、答えてしまう。クリスマスも近い。ある若い美しい女が急逝した。それで、わかくもないヤローが、三日三晩それこそ、神の女々しさで、泣いて泣いて、三日目になった。さぁ、後一日ぞ。すでに二日二晩泣いたから、別にシャドーボクシングで僕目が腫れた、そんな訳ねぇーだろう。その時、誰かが声を聞いた、と云う。『およしなさいな』。『もう一晩まで重ねても、彼女は生き返らない』『かっての身ならいざ知らず』
誰かが去った。そして、違う気配を感じた。その者は云う。『後一日だ』。『もう一息だぞ』。『生き返るぞ』刺々しい冷たい響きがした。『わかった』とひとりつぶやき、従おうと。そしたら、いきなり曙光がさして、以前聞いた、その声が『信じて無いのに欺瞞』・・
『誰なんだ』と探した。その声は『天使よ』。『今しがた、すすめたのに』。その声は答えた『あれは堕天使、わたしじゃないわ』。『自ら更に、信じてもないの祈っても』。『その偽りの欺きが』。『あなたをして』。『離れさせる』。『だから、そこで止めなさい』と去る
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昔購入したカードに、漫画家やなせたかしの名言が載っていたのがあり、「行けるところまで行ってみよう」とかで憶えてました。
後期平成の伝説は、M伝説ではなく、U伝説で行こうか、と思います。M伝説では、若松監督が遺作として撮ったのですね。知りませんでした。出演した若者たちも、作品は残るし、無職でなくなりますから。U伝説とは、未だマッキンレーの懐で氷室で眠る彼のことです。新年今月中旬まで、「植村冒険館」開館20周年記念特別展です。先月その講演会があり、表題が「植村直己とは何だったか」でした。この表題にも、驚いた。行けませんでしたが。ヒマラヤのゴミ集めもする環境学校の若き登山家野口健も、自称彼の弟子みたいです。
「あなたにお願いする。ひとつの信仰を放棄したとしても、すべての信仰を放棄することなかれ。我われには、常にそれにかわるべきものが存ずるのだ」グレアム・グリーン「コメディアンズ」より

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行ってきました、「植村冒険館」。開館20周年記念。山男たちの発想というのは、やはり違う。それが端的に現れているのが、館内すぐにある二階への階段。それを踏み上がると、壁面に並行して、彼の登攀歴の記録が、→と共に記載されつつ、既に弱冠から、その年代の終わりまでに、数々の偉業を達成。二階展示室、極寒極地を走破した犬ゾリがデンと座ってある。室内壁には、大きくしたカラー写真が四方に貼られ、こちらも当時新聞やらテレビ等で見た記憶のシーンが、再現されてある。本人撮ったフィルムのビデオも放映されてある。遺品の数々も、そうある。閉館間際、一時間費やした。帰り際グッズ購入。冬期に、老齢期の者を、かくも熱くするのは、やはり、彼の「U伝説」たる遺徳の為せる業。1階情報コーナーには、贈答もあるであろう山岳関係の蔵書が山。彼のコーナーにも、彼の著作の品数もあった。ちゃんと文筆活動もしてる。残している。彼の評価は、先ず海外から湧き上がった。単独で世界初が数故。キーホルダー、ペットボトルホルダー、そしてスタッフバック10L。もう、気分はクライマー。熱くさせるものがある。老害防止の効あり。主観なんだけど、これでいいんだ。プラスにする、その意欲を喚起させる、遺志を残存者の意志に変える、何か。透明な氷結の中に、不腐せずに若い彼の横顔こそ想え。
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現在、その国では、大統領の宣誓式が挙行されている。彼の初回は、テレビで視聴した。が、今回はしない。二期目である。あの名作「風と共に去りぬ」の国である。大国であり、強国でもある。「戦争と平和」と時を同じ頃に読んだ、この国の建国以来の国難南北戦争すなわちシビルウォー、を題材に、女流作家がそれを書き上げた。マーガレット・ミッチェル、これに全力を傾けたからか、たしか四十歳代で逝去してる。読み終えて、ウーマンパワーに驚嘆した。主人公の設定もいい。スカーレットは、マーガレットに韻を踏んでる。こういう大河歴史小説は、その執筆は、マラソンのようだろう。タフじゃないと、上梓できない。ぼくの住むこの国に、マーガレット教会、何処にあるか知ってる。ヒロインを、敗北したけれど、奴隷制が常態化してた南軍側に置いた。主に綿花だろう栽培園主の当主でさえ、戸別に、ヒロインの邸宅の主のように、必ずしも、奴隷制が顕在化する形ではない雇用関係もあった訳で、主人公はだからこそ、何故戦争が勃発して、その理由が奴隷制解放という、北軍の理念とリンカーンの公言が、腑に落ちない、男たちが勝手に起こした、没落への戦、と見た。その視点があればこそ、世間知らずのお嬢様が、何もかも失って尚独り吐く、あの凄まじい生への執念の言葉、が故郷の大地でこだまするのである。
明日は明日の風が吹く、という終句は、「聖書」の或句を想い出させる。
少年は、その国の女心が知りたくて、それもあって、その長編を読んだのだが、時代物のお嬢様がじゃ、それも有効とは言えなかった。でも、その国の女流作家故、主婦の眼差しは生きてる、のである。ハリウッドという映画の都での映画化製作。これは、ひとつの小説から、俳優、監督、すなわちスタッフ・キャストの諸氏の職業を、その生業をも生み出す。この映画、多くのスターを集めた。それも、英米共作の感すらする。ヒロインは勿論、その恋の対象のひとりに、レスリー・ハワードを配した。彼は後、大西洋上かで、戦死するが。すると、作られし年代も知れてくる。先年、太平洋戦で、とある南海の戦場の孤島、日本兵側のその洞窟に、その小説があった、などとニュースされても、あながち不信にならぬ。本年は、スピルバーグ監督の「リンカーン」が上映される運びだ。二期目の大統領も、リンカーンを尊敬してる旨の公言をしてる。そうやって、呼応して、世論をば醸成し、国内の選挙民を確保し続けるのだろう。その監督が民主党員か知らぬが。国内外問はず、リンカーンの最期と名は絶大だから。さて、「メロンパン姉さん」は、今頃何処にどうしてるやら。彼女と知り合ったのは、メルマガでである。インターネットはじめて、メルマガ投稿で、彼女の米国会話学校留学日記なるものを、配信してた。メロンパンは、彼女のメルマガ名であった。「エデンの東」に出てくる西海岸の断崖の殺風景な港町。そこに、できた海上水族館の訪問便りなど、ぼくにとってはたまらない、光景のイマジネーションの刺激なのだ。ちゃんと、その回分は、返事くれた。そしたら後日、やはり、アメリカ人の彼氏の家に行ったとか。やれ、医療費が大変だとか。そしてある日、終了閉鎖の通知。関西出身らしいが。

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おっと、夫であるパックンは、嫁さんが大和撫子らしいぞ。
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グランドピアノにも、コンパクトタイプは在るんですね。馬に例えれば、ポニーかな。「ライフルと愛馬」♪というアメリカンポップスがあった。ドーナッツ盤で、当時キャピタルレコードという、赤ワイン色の盤。歌うはディーン・マーチン、底抜けシリーズに主演したジェリー・ルイス漫才コンビを組んだ、元ボクサー。この島国のレーベルだったポニー・キャニオンの由来かな。親類から貰ったのをよく聴いていた、ウェスターン。本日、あのお昼の音楽のひと時。演奏者は、この音楽会、数度チラシで名を知ったが、今回やっと聴けた。あのセット、ウエーターもあの娘だよ。冬のレモンティは温かい、全部飲んだ。演奏者の両手が鍵盤に踊るのを見るは、毎回特等席と呼ぶ。それも若い男のピアニストで、ショパンの数曲は、譜面無し。数十分で魅了する。口下手がまたいい。別テーブルには、両親だろうが聴いてる。コンパクトグランピ♪の最寄りテーブルには、幼児二人連れの若い母親が座る。この雰囲気、たまらない贅沢だ。アンコールで、「花は咲く」♪を披露した。あの、東日本大震災の歌だ。生を聴けるとは思わなかった。幸運だ。不運な人びとの歌を、聴いてる。音楽家は、それを果たし、良き聴衆も、それに倣う。彼は、仕事を終えた後、この建物の主たる利用者の障がい者のひとりの少女にも気さくに答えていた。音楽とは、純粋だ。だから、癒す力を持っている。純粋な者たちに近くある。素晴らしいショパン「別れ」そして「革命」♪だった。ありがとう。ささやかだが、忘れない。テイクアウトの無農薬低農薬の酵母パンも美味だ。オリーブの実が点在する塩パンも気に入った。
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はじめまして。私は現在、クリスチャンだ、とは想っておりますが、他人は、あんなのが、と思っているやも知れません。己を、それでも、そのひとりだと想う理由は、「主の祈り」が出来るから、と考えています。「主の祈り」が出来なくて、こんなんじゃ、なれんな、と。その祈りの中のある箇所が、どうしてもわかりませんで。ところがある時、ある事件がありまして、以前ある若い宣教師から聞いた、その事を、思い出して、再考したところ、「主の祈り」の主旨が解けた、のです。それで、「主の祈り」を続けたら、ますます、引かれて行く己が、居ました。その一節です。「みこころの天に行われるように 地にも行なわれますように」。この意味を理解したのです。

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ある事件とは、若い女が、ひとり旅先で、被害者となって死んだ事です。日本人でした。その若い女の人とは、何ら面識も、顔さえも知らないのですが、そのニュースを知って、憤怒しました。あぁ、これが憤怒か、と。怒髪天を突く。怒りが収まらず、何時間も祈った。怒りを収めない事には己が壊れます。こんな事で己を壊して死ぬのか、死ねない。こんな事。こんな事誰が犯した。己を鎮めようと、躍起になった。そして、キリストの教えが、制御出来ない我が身をどうにかする事が出来るなら、「主の祈り」を祈れば、それが収まるはずだ。それで、祈りましたね。何時間も。そして、「主の祈り」は、それが出来た。我が身を鎮めてくれたのです。勿論、彼女の名前を忘れてません。彼女は、一粒の麦、だとおもっています。
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ビルマの竪琴」は名作です。ひとつのメロディ♪ が、敵との戦意を失わせる、のですから。「埴生の宿」♪は名曲です。それが流れる時、醸し出される懐かしさは、流さなくて済む血、怒らなくていい平安を想い出たせてくれます。彼の国民にも平安あれ。
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「地の塩舐める」「こちらは砂糖」/これは、対で使用したので、その範囲内で回答。[地の塩]は[或る書物]に依る譬えですから、それを基盤にしてる方々には、わかり易い、と思いました。討論・議論する際、互いに苦言を呈することを、躊躇しない。 相手がそう来たら、こちらも畏まって、適切な対応で接する。訂正すべき事柄を承知させたいなら、厳しい口調で話すのに、砂糖含みの清涼飲料水飲みながら、も無いでしょう。実際、日常においても、場所によって、「飲み食い控えよ」はありますから。応対する時の態度。「年を弁える」って、前の例えに絡めるが、どうも私は、私個人の固定観念かも知れませんが、[世代]と、「年代」と、そして{数年}は、こだわります。違う、のです。30年、10年、そして3年間。違うでしょう。親子の意見の違い、兄弟のそれ。そして友だちとのそれ。それで、具体的に、語彙を選んで、それを用意する。「弁明」、「弁解」、そして「(自己)弁護」とまぁ。やれ『弁明するな』とか、やれ『弁解がましい』とか、『自己弁護ぐらいしろ』とか。法治国家ですから、それらの使い分けでしょうか。以上、具体的に、では無く、その前の話。 具体的にどういうことですか?/捕捉です。高齢者だからかも知れませんが。これから先、「差別する、されたくもない」。「無理心中する、されたくもない」~~昨今の社会的危機感と現状。『差別』と『無理心中』、その可否を問う、で先ず視ると、わかり易い。入門篇ですが。