かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある日

三種の神器とは、何ぞや。

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熱田神宮で2日、刀剣専門展示館「剣の宝庫 草薙館」の開館記念式典。

三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」をご神体とする熱田神宮名古屋市熱田区)で2日、刀剣専門展示館「剣の宝庫 草薙館」の開館記念式典が行われた=写真。同神宮は国宝・重要文化財の刀剣をはじめ、宝刀約450本を収蔵。同館は令和への御代替わりを記念した御大典奉祝記念事業の結びとして3日に開館する。

式典では千秋季賴(せんしゅう・すえより)宮司が「草薙神剣にはあらゆる苦難を切り開く力があるとされます。昨今の新型コロナウイルス禍も断ち切って、一日も早く健全な生活を回復することを祈念します」などとあいさつ。テープカットに続いて、内覧会が開かれた。

同館では、織田信長が浅井・朝倉連合軍を破った「姉川の戦い」(1570年)で朝倉氏の武将、真柄父子が所持したと伝わる「真柄大太刀」などを常設展示。刀剣体験コーナーで脇差しや刀、真柄大太刀の複製に触れられるほか、25日までは「開館記念特別名刀展」も開かれる。(産経)

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神道と、仏教と。

私が訪ねたは、明治神宮伊勢神宮。以下略。香取、平安、後出て来ない。

明治神宮だって、親に連れられて参道を、玉砂利を踏んで、子供の歩幅では、長かった。

それで、そんなに時間かけて、誰に会いに行くのだろうか、と。

本殿前に賽銭箱風があり、十畳敷ほどの白地の布に、紙幣やら平等院の硬貨やら。

世俗の喧騒から隔絶して、見上げた空は魚眼レンズのように緑の林に守られていた。

 

伊勢神宮は、ツメ襟の学生服。橋の鳥居を渡っていったから。鬱蒼と茂る檜かのちょっとウエット感覚の、20年ごと建て替える古風な木造。内宮まで来たんだな。

見上げる鳥居奥。やはり、神秘的であらねばならぬ。

数千年、という。まことに畏まって崇め奉ります。

それは、幾多の国難に際して。大元帥陛下はもとより、大日本帝国陸海軍軍人。そして閣僚らが、神妙に、厳粛に、歩いたであろう。

歴史への往復の時空。民族の興亡への、思案黙考の残された隙間。

末裔が、またここに来れるか。醒めた覚悟を背負っての、参道のみちのり。

「歴史の聖なる一回性」は、大和の国家神道にも、あったんよ。

ここに、奉納してあるは、ご神体。それすなわち、八咫鏡天照大見神

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八坂瓊勾玉古今東西問わず。やはり、宝石が相応しい。

そのデザインは、何かを想わせる。

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草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」。これとて、見てない。

いいんだよ。誰も見てない。明治の元勲とて、誰一人見てない。

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何だ。コロナ禍下。そのエントリーと共有しっちゃてる。

医療的と、宗教的と、その相違だけだ。

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香取神宮も、親に連れられて。

平安神宮は、千年古都の、御所と門前町との並行期間。

従いまして。熱田神宮は、未だ行ってない。

しかし、よく時代劇映画の剣道場の壁に、鹿島とか、香取とか、掛け軸貼ってある。

ひとつでも行けば、どうせ兄弟なんだから、いいじゃないか。

東京は、松陰神社松下村塾の木造レプリカ、墓所も訪ねた。

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熱田神宮にしろ。おそらく、昭和は、半ばの「市ヶ谷事件」。その時の若い方、彼が行ったであろうから。その彼を追慕追悼すれば。何にしろ、精神の問題だろう。

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要は、法治国家昭和の憂国ならぬ。『令和の亡国』。

それに対する、我われの回答。[憲法改正]、それしか他見当たらない。

コロナ後遺症か。嗅覚味覚も、記憶力も落ちた。

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『高倉(健忘症)』は、八甲田山を、神戸六甲とボケることではないだろう。

小林稔侍兄、オレを見逃してくれ!』

[憲法改正]に、もうちょこっと、頭使いたいから。

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西郷さんが諭した。東郷さんは、違うキャラ故、日本海海戦まで忍耐した。

それも、黄海海戦という、前哨戦があったればこそ。既存の旧式でない、新戦法で勝利を得た。

後、大病を経たにもかかわらず。老骨に鞭打って。国民の歓呼に応えて、今一度、出征した。その結果が、令和の時代を招へいしたのでしょうから。

まあ、彼だけではないですけれど。