かいふう

近未来への展望や、如何に。

「日本国憲法第一章.第二章」

kaihuuinternet2006-02-11

先日、某TVで[壬申の乱]と、「天皇」の起源およびその名称由来を詳しく知り得た。
歴史学とは、まさに{学ぶ}のであって、それをする時空間は、外で銃弾飛び交う、または彼が銃を手にして戦場を行き交う、それでは有り得ない、平和が確保されている状態の別名、と言っていい。鉄兜で塹壕から顔出して、『現在、戦争を学んでます』は、敵の狙撃兵から額に鉛の弾一発喰らい、撤退する戦友からも遺棄されるのがせいぜい。
先年、沖縄パック旅行のバス内、マイク渡しの自己紹介で、初代天皇からの名を明治までか機関銃のごとく連呼してみせた年配ご婦人もいたが、自分が印象深く記憶するは、「鎌倉宮」すなわち「護良親王」であって、過日もその首塚日没近く訪ね、若くしての悲運の最期を祈って来た。某TV局も含めて、大河とはいかなくても、正月単行番組で、何故出生から無念の死まで製作しないか、疑問におもう。もう、信長、秀吉、家康は結構、自分はね。実際、その地の石段下りる時肝試しだと言い聞かせて、天皇家に生まれるのも怖いものだとおもった。
歴史を調べて、この国が難事に「天皇」の存在が如何なるものであったか、どう国民とつながり、機能し、結束に作用し、暴発を抑止鎮め、平和と繁栄に力と権威を現わしたか、誰しも認識と解答を得たいものであろう。近代国家、その誕生、それを欧米列強の進出拡大、それに対抗する[明治]をはじめとするならば、[大日本帝国憲法]はせめて概要でも咀嚼せねばならない。そしてそこにある「天皇」の地位と権限は、現行[日本国憲法]のそれと比較了承するのが、憲法改正論議に参加する者の基盤でしょう。
そして、では現行憲法が、21世紀を迎え、それに相応しいかつ耐えられるものか、検証する時期に差しかかったことは、この60年を生きて来た国民そのものが、国内、海外の諸々の課題大事件に照らし合わせて、日常感覚としても重ねて来たことです。
職業政治家のみの問題でないことだけは、確かでしょう。世論を喚起し、集めるのもまた国民。
{外国武力からの攻撃への正当防衛}は、来るべき国難に対する、防備であり、独立主権国家としての権利でしょう。ならばそれは広く内外に周知し、近隣諸国の元首によもやの策略や暴力を牽制警告を示しこそすれ、平和の継続と相互の信頼を保持するのに何ら差し支えないでしょう。

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これで、ひとり参拝したあの時の後ろ髪も、切れたようにおもわれます。
それにしても、かの三大発明かの、グーテンベルグの印刷から、玄奘三蔵らの、西方浄土からの、仏教法典及び写経の入国まで、墨汁による巻物保管の移動は、よくしたものだ、と感じ入りました。
護良親王本人直筆を、こうやって、閲覧できる時代まで、残るのですから。書道のみならず、硯と墨もまた文化なのですね。
建武の新政、は教科書に太字印字で出てきました。
この頃になると、足利尊氏側の行動もわかるのです。公家と武家の対立構図も浮かぶような。どの側に属そうと、その若い、しかも敵の打算というか、無念の死をば惜しむのです。