かいふう

近未来への展望や、如何に。

哀悼の意。

kaihuuinternet2006-04-25

107人が死亡し、555人が負傷した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故から25日で丸1年。同市総合文化センターでは午前9時から、遺族や負傷者、JR西日本の関係者ら約1700人が参列して追悼慰霊式が営まれ、犠牲者の冥福(めいふく)を祈るとともに再発防止を誓った。北側国土交通相は「事故原因の徹底究明と再発防止策に万全を期すことが追悼の証しと信じる」と追悼の言葉を述べた。

式に先立ち、JR西日本山崎正夫社長ら幹部19人は同7時前、事故現場脇の献花台を訪れた。黙とうの後、白ユリの花束を供えた山崎社長は「おわびを何度も繰り返しながら手を合わせた。この場所に凝縮している犠牲者の無念、苦しみを改めて胸に刻み、安全対策を進めたい」と語った。

献花台には遺族や友人、電車が激突したマンションの元住民、救助に駆け回った周辺の人たちが途切れることなく続いた。

同県三田市の奥村恒夫さん(58)と妻栄子さん(53)は8時前に訪れ、長女で京都女子大4年だった容子さん(当時21歳)の笑顔を思い浮かべた。「なぜお前が死ななければならなかったのか。必ず原因をはっきりさせるよ」。改めて誓った。

事故が起きた9時18分には、周辺の寺院が一斉に鎮魂の鐘を鳴らし、現場や沿線は深い祈りに包まれた。
事故が起きたのは、三井さんらが市民活動に取り組むためのNPO法人を発足させた3日後だった。三井さんの二女(20)も、多数の犠牲者が出た2両目に乗り合わせ、胸や腕の骨を折る重傷を負った。約1か月後に退院してからも電車に乗れない二女を見て、「事故でけがをした人が精神的に立ち直るサポートも必要だ」と同法人のスタッフに呼びかけ、負傷者支援の活動にかかった。

昨年6月から毎月1回、負傷者の集いを開き、これまで800件を超す電話相談も受け、社会への復帰の手助けをしてきた。こうした活動の中から、犠牲者の遺族らとも少しでも思いを共有したい、と遺族の支援に取り組む弁護士や信楽高原鉄道事故の遺族とも連携し、今年2月、同連絡会を立ち上げた。

同線の新三田以南の各駅と片町線同志社前の計15駅では、被害者を支援する人たちの「思いをつなぐ連絡会―4月25日から1年」のスタッフらボランティア約200人が「惨劇を忘れまい」と通勤・通学客らに空色のリボン約2万個を配った。「あの日、空は青かったね」という負傷者の一言から生まれた手作りのリボン。先を急ぐ乗客も足を止め、胸やかばんに付けた。

尼崎など9駅には、メッセージボードや記帳所も設けられ、ボードは追悼の言葉で埋まった。(読売新聞)


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現場で遺族のひとりの女の方が言う「ものではない命を運ぶのを 胸にきざんで 電車を運転してほしい」
この訴えの重さを噛み締め、時あるごとに反芻したい。
おそらくこの1年、どの遺族の方々も、何故と、どうしてと、眠れぬ日々とあるいは楽しかった日々を交差させ、祈りと共に過ごして来られたことと。