かいふう

近未来への展望や、如何に。

日本一ハム、優勝。「フェアプレー」と「ファインプレー」

プロ野球の枠を超えて話題を振りまいてきたスター、日本ハム新庄剛志選手(34)が日本一を花道にユニホームを脱ぐ。

「頂点に立てたら、死んじゃうかも」と話していた大舞台。九回、最後の打球を捕った森本稀哲選手(25)と抱き合った新庄選手は何度も何度も涙をぬぐった。「ツーさん(新庄選手の愛称)を胴上げしたい」という小笠原道大選手(34)の言葉通り、ナインは誰よりも先に新庄選手を胴上げ、4万2000人の観衆は完全燃焼に惜しみない拍手を送った。

本拠地を東京から札幌に移した日本ハムの最初のシーズンを翌年に控えた2003年12月。米大リーグから復帰した新庄選手は入団会見で言った。「これからはパ・リーグ。スタンドをいっぱいにするのが夢」。阪神、米大リーグと常に大観衆に見つめられてきた。新天地でも、ファン獲得のため次々に派手なパフォーマンスを繰り出した。スパイダーマンなどのマスクでグラウンドに現れたり、ワイヤでつるされたゴンドラに乗ってドームの天井から降り立ったことも。人気は敵地でも抜群で、ある監督は「新庄が打ってウチが勝つのが一番」と語ったほどだ。パ・リーグは04年にリーグ史上最多の1068万人を集めたが、新庄選手の人気と無関係ではないだろう。

野球に専念すべき――。批判の声にも「怒られたっていい」と自分を貫いた。だが、一流の気配りにチームから反発はなかった。途中出場の若手には、「思い切って行こうぜ」と声をかけ、引退の一因でもある故障を抱えた両足のマッサージの際には、トレーナーに「ありがとう」は欠かさなかった。

故郷の福岡市で小学6年の時、ソフトボール大会で負けた悔しさのあまり、2日間で仲間を集め、野球チーム「長丘ファイターズ」を作った。「偶然にもファイターズで終わり。そういう偶然すごいな」と白い歯を見せた新庄選手がファンと仲間に囲まれた野球人生に終止符を打つ。(2006年10月26日読売新聞)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おめでとう。プロの仕事、やはり「フェアプレー」と「ファインプレー」だろうな。万人の観客の前で魅せる職人の業と技。
ムードメーカーは要るんだ。女神は微笑む。明るいキャラクター、話題作りの気配り。大リーグの仕事も活かして、ファンを引き止めてくれました。貢献度は大きい。チームメイトもファンもそれを知っている。そういうお祭り騒ぎ、する理由が納得できないと、わーっといかないんだよね。
試合は観るゆとりはないが、優勝のニュース、なぜか納得しちゃった。前身が東映でしたか。時代劇映画全盛時代の会社。片岡知恵蔵と市川右太衛門、両御大重役スターに大川博社長。大映とライバルで幾多の銀幕に少年を熱くさせてくれました。チャンバラは、社会体育のひとつでもありました。
新庄選手は、そんな世代とはあきらかに違う若い人、に映りました。危うさも時折見せて、それでも期待を裏切らず、この有終の美。素直に喜んで祝福できる方を観られる、のは幸いです。ヒルマン監督の胴上げ。
宇宙でも、そして野球でも、もうとっくに国境を超えてるんですね。みんなと楽しむタレント、爽やかだなぁ。気分いい。